2019年2月15日

元陸上選手の母から受け継いだ“いい加減”な子育て観│寺田明日香の「ママ、ときどきアスリート~for 2020~」#20 (1/2)

 みなさん、こんにちは!陸上競技の寺田明日香と申します!

 なんと今回で連載20回目となりました! いつもお付き合いいただいている読者のみなさんと、編集を頑張ってくださっている編集部のみなさん(!)に、心から感謝いたします。

 さて、前回は私と娘の似ている部分について触れましたが、今回は私と私の母との関わり方や、私が母から受け継いでいると思うことを書いてみたいと思います。

 私の母はあまり表に出てくるタイプの人間ではないため、母の話題を出す機会もあまりなく、出たとしても元陸上選手だったということくらいなので、初めて出す話ばかりです。

 最後までお付き合いのほど、よろしくお願いいたします!

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コーチ時代は厳しかった母

 私が小学3年生のとき、両親が離婚しました。(出だしから重い……!)

 私と妹は母方に引き取られ、母と祖母、叔父と暮らすようになり、専業主婦だった母はさまざまな仕事を掛け持ちするようになったと記憶しています。そのとき水泳やソフトテニスなど、いくつか習い事をしていましたが、そのまま続けさせてくれたことにはとても感謝しています。

 小学4年のとき、学年でも背が高く、運動会で足が速かった私は、母と祖母の勧めで地元の陸上競技大会に出ることになります。その後、本格的に陸上競技を始めるのですが、最初のコーチは元陸上選手の母でした(今でも、たま〜に練習動画を母に送ったりしています)。

 約半年間、母とふたり夜な夜な公園で練習をしていましたが、5年生になるときに地元の陸上クラブへと加入しました。ふたりで練習していたころの母は、陸上に対してかなり厳しかったように思いますが、陸上クラブへ入ったとたん、家では全くと言っていいほど陸上に関することは言わなくなりました。

 ほかの子のお母さんたちは練習中もずっとスタンドから見ていましたが、私の母はお迎えのみ。クラブに入ってから数ヶ月経つと、お迎えにも来なくなりました。

 この「放置」とも思える距離感に、後々かなり助けられました。

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