失意や大怪我を乗り越え日本トップレベルのアスリートに|「走ることも、働くことも、私のストーリー」
前回のコラムでは「陸上競技との出会いから社会人アスリートの今」まで駆け足で紹介しました。今回は大学時代にフォーカスを当ててお話ししていきたいと思います。
大学生活の始まり。新たな挑戦
1年生の頃、同期と
入学した法政大学は、私にとって初めての共学であり、陸上競技の強豪校。そんな未知の環境に慣れるまでかなり時間がかかりましたが、全中やインターハイ出場の経験がない私が、想像できないほど大きな成長を遂げました。
大学入学時の目標は、4年生で日本選手権に出場することでした。でも入学してみたら思い描いていた理想とは異なる現実ばかり。
くすぶっていた最初の2年間
2年生の頃の私
1、2年生の頃は練習や環境に慣れるのに必死で、日々のきつい練習を乗り越えることが目標となっていました。高校時代のタイムより遅く、目標を失いかけていた時も......。
でも「このままでは成長せず大学を卒業してしまう!」と思い、2年生の冬はとにかく練習をしました。走りはもちろん、とくにウエイトや補強を増やしましたね。
2年生の頃、同期と(手前中央のピンクのシューズが私)
その結果、3年生の関東インカレではマイルリレー(4×400mリレー)で3位に輝きました。これが法政大学史上初の表彰台で、仲間と勝ち取った喜びは一生忘れられない宝物です。
関東インカレで3位になった直後
関東インカレ3位の記念撮影
日本2位、タイム10秒短縮の驚異的成長
日本選手権リレーで日本2位に
400mを本格的に始めたのも、じつはこの頃なんです。関東インカレで400mに出場し、4本目にして日本選手権の標準記録を突破。当時は喜びよりも驚きが勝っていました。
全日本インカレでは400mで8位、日本選手権リレーでは4×100mリレーで8位、4×400mリレーではタイムを10秒も縮め、3分38秒の記録で日本2位を達成しました。前年まで日本選手権リレーに出場すら叶わなかったチームが大きく成長し、そんなチームで走れたことが何よりも幸せです。
ラストシーズン目前で大怪我
日本選手権8位入賞した4年生の頃
大学ラストシーズンに向け冬季練習もかなり順調に行え、いよいよシーズンインという3月にⅢ度の大腿二頭筋の肉離れを起こしてしまいました。肉離れはⅠ度〜Ⅲ度に分類され、私が負ったⅢ度は腱断裂の重傷でした。
一時は前を向くことができませんでしたが、PRP注射や日々のリハビリに励んだ結果、予定より2ヶ月早く復帰することができました。復帰後、怪我の影響で思うように走れず不安な日々を過ごしましたが、少しずつ走れるようになり迎えた日本選手権。出場した400mにおいて、24人中22位だったにもかかわらず8位入賞。
ラストシーズンの日本インカレ。同期と
卒業後も競技継続する決意
ラストシーズンの日本選手権リレーは3位
決勝で戦う日本のトップ選手たちの強さに圧倒されながらも、400mを始めて1年弱でこの舞台に立てたことで「まだ成長できる」と可能性を感じました。そして、その思いが大学卒業後の競技継続を決意する力となりました。
その後も自己ベストを更新し、日本選手権リレーでは再び表彰台に立つこともできました。振り返ってみると辛い時期も多く、結果が出ない悔しさも味わいましたが、仲間や支えて下さる方々の存在のおかげで、諦めず夢に向かい努力することができました。
大学生活を通じて学んだこと
日本選手権リレー後、最強の同期と
4年間の大学陸上生活を通じて、「目標に向かって日々努力すること」「何を目指し、そのために何をすべきかを自ら考える力」を学びました。これらの経験が、今後の競技生活だけでなく、人生の大きな財産になると思っています。
そして、仲間が良い位置でいつも持ってきてくれたおかげで、私自身マイルリレーで人に抜かされたことが1度もないんです! リレーを走る機会は減ってしまいましたが、この肩書きも守っていきたいですね。
日本選手権リレー、トラック上で
熊谷遥未(くまがえ はるみ)
陸上競技選手
【種目】
100m 12秒11 / 200m 24秒44 / 400m 54秒64
【所属】
田園調布学園→法政大学→ASUNARO
Instagram
https://www.instagram.com/haruaya16
X
https://x.com/harumiiiiiii_k
<Text & Photo:熊谷遥未>