2019年10月17日

『いだてん』は今の世の中に絶対に必要な物語│連載「甘糟りり子のカサノバ日記」#37

 アラフォーでランニングを始めてフルマラソン完走の経験を持ち、ゴルフ、テニス、ヨガ、筋トレまで嗜む、大のスポーツ好きにして“雑食系”を自負する作家の甘糟りり子さんによる本連載。

 今回は、日本人初のオリンピアンとなった金栗四三(演:中村勘九郎さん)と、1964年の東京オリンピック招致に尽力した田畑政治(演:阿部サダヲさん)を描いた、宮藤官九郎さん脚本によるNHKの大河ドラマ『いだてん』について。

 序盤は作品にぜんぜんハマれなかったという甘糟さんですが、次第にのめり込んでいくようになったといいます。『いだてん』の魅力とは?

愚かさを含めた人間の大きな過去を知る物語に

 大型台風19号が過ぎ去った翌日の『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』は視聴率3.7%(関東地区)だったそうです。大河ドラマ史上最低の数字だとか。同時刻にラグビーワールドカップの日本対スコットランド戦があったことの影響が大きかったんでしょうね。

 ラグビー日本代表の活躍がすばらしいのはもちろんですが、この『いだてん』を見逃したとしたら、本当にもったいない。今の私たち、というか今の日本に必要なことがていねいに描かれていると思います。

 正直なところ、私はもともと大河ドラマを観る習慣はありません。今回の『いだてん』は、マラソンランナーと東京オリンピック招致の物語と聞き、初回とその次はチェックしたのですが、あんまりピンとこなくて離脱していました。

 なのですが、夏の初め頃だったかな、MELOSの編集長に「いだてん、見てないんですか? おもしろいですよ」といわれ、再び日曜20時、NHKにチャンネルを合わせました。物語は、中村勘九郎演じる金栗四三が主人公の第一部から、阿部サダヲ演じる田畑政治が主人公の第二部になっておりました。

 なるほど、けっこうおもしろい。最初っからこっちの東京招致の話にしてくれたらずっと見ていたのになあ、なんて思いました。テンポよく進む物語にはすぐに引き込まれましたが、いわゆる「笑い」をほとんどわからない私は、ちょいちょい出てくるギャグに時々しらけちゃったりもして。ついでにいうと、時系列の行ったり来たりが激しい古今亭志ん生(若い頃が森山未來、晩年がビートたけし)の落語パートが挟まれるのを、これはこれで別にやればいいのに、とも思ったりもしました。

 もう、そういうことすべてを反省したい。愚かで浅はかな自分をぶん殴りたいです。ラグビーの試合と同時間帯に放送されていた第39回「懐かしの満州」では、主人公の2人はほとんど出てこないのですが、彼らと志ん生の人生が混じり合って、戦争という闇に覆われた日本を描いていて、思い出すだけで心が揺さぶられます。

 いや、この回だけではありません。4週ほど前、第36回の「前畑がんばれ」から、単なるおもしろいドラマじゃなくて、愚かさを含めた人間の大きな過去を知る物語になっていきました。ベルリン・オリンピックのユダヤ人通訳が自殺する後日談は、物語の奥にあるものがすっかり変わったことを示していたと思います。

 ここら辺から、それまで無知無教養な私が「ん〜、イマイチ〜」なんて感じていたことがすべてプラスに働きました。あの頃の日本人にしてはおちゃらけ過ぎじゃないかと思っていた阿部サダヲは、けれど日本が戦争に舵を切った辺りから顔を曇らせる場面が増えてくる。ひしひしと事態の深刻さ(というか残酷さ)が伝わってきます。おちゃらけていた分、反動で重みを感じるというか。

 第37回の「最後の晩餐」では、日本体育の父といわれた嘉納治五郎がオリンピックをヒトラーが君臨していたベルリンのように「日本のすばらしさを世界に知らしめる大会にしたい」と次第に右にずれていく様子や、オリンピックが陸軍をはじめとする政治に利用されそうになる様子、危惧する貴族議員や田畑たちの心がばらばらになっていく様子が描かれていました。

 
 
 
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 そして、第38回の「長いお別れ」。この回の最後は学徒出陣の場面でした。オリンピックを開催するはずだった明治神宮外苑競技場では、雨が降りしきる中、兵隊として戦争に駆り出されるが学生たちが鉄砲を持たされて一糸乱れぬ行進をします。東條英機が「天皇陛下、ばんざ〜い」と叫び、観客席の家族たちも学生もみんな「ばんざ〜い」と叫び、両手をあげる。でも、心から喜んでいる人なんていなかったはず。田畑や議員たち三人はみんなが万歳する中、呆然と立ち尽くします。3人が顔を強張らせて立っている姿が多くのものを語っていました。

 どうして可能性がたくさん残っている若者が、望みもしないのに、生きて帰ってこられないかもしれない戦争の現場に放り込まれなければならないのでしょうか。右とか左とか関係なく、戦争って本当に愚かだという感想しか出てきません。

 視聴率が3.7%だったという先日の回で、金栗、田畑、そして志ん生の接点が具体的になります。主人公2人に対しての、いわば副菜のようなものかと思っていた志ん生は、物語には必要不可欠の人物でした。金栗の「すっすっ、はっはっ」がああいうふうに生きてくるんですね。

 志ん生の話は別にやればいいのに、なんて思ったことを猛省。口当たりの良さばかり求めていては、物語の醍醐味を味わえないよなあと強く感じます。

 学徒出陣で中国に送られた金栗の弟子である小松勝は、ここで終戦を迎え、同じく帰国できずにいた志ん生たちと出会います。ですが、ソ連兵に見つかって銃殺されてしまいます。仲野大賀さんが演じる小松勝の学徒出陣と銃殺の場面はこうして書き出しているだけで涙が溢れてきてしまう。「泣ける」だけが物語への褒め言葉ではありませんが、この回は涙なしでは見られませんでした。

 
 
 
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 国と国との争いの前では一市民のなんと無力であることか。国同士の摩擦はスポーツの祭典だけにとどめて欲しい。『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』、視聴率は良くないかもしれないけれど、今の世の中に絶対に必要な物語だと思います。

[プロフィール]
甘糟りり子(あまかす・りりこ)
神奈川県生まれ、鎌倉在住。作家。ファッション誌、女性誌、週刊誌などで執筆。アラフォーでランニングを始め、フルマラソンも完走するなど、大のスポーツ好きで、他にもゴルフ、テニス、ヨガなどを嗜む。『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』『エストロゲン』『逢えない夜を、数えてみても』のほか、ロンドンマラソンへのチャレンジを綴った『42歳の42.195km ―ロードトゥロンドン』(幻冬舎※のちに『マラソン・ウーマン』として文庫化)など、著書多数。『甘糟りり子の「鎌倉暮らしの鎌倉ごはん」』(ヒトサラマガジン)も連載中。近著に『鎌倉の家』(河出書房新社)『産まなくても、産めなくても』文庫版(講談社)

<Text:甘糟りり子/Photo:NHK>