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東北の“美味い”を楽しむファンランイベント「東北風土マラソン」は、どのようにして生まれたのか? (1/2)

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 毎年、日本を含めた世界各地からランナーの集まる人気レース『メドックマラソン』。フランスで開催されるワインの祭典で、レース中にワインが飲めることで知られます。しかし実は、日本にもメドックマラソンの日本版が存在することをご存知でしょうか? それが、今年5回目の開催を控えている『東北風土マラソン』です。

 宮城県登米市で毎年春に開催されている『東北風土マラソン』。2018年大会は3月24日・25日に開催を控え、現在もエントリー受付中です。今回は同大会の発起人である竹川隆司さんに、大会コンセプトや誕生秘話などを伺いました。

東北の“美味い”を楽しむファンランイベント『東北風土マラソン』

 まずは簡単に、東北風土マラソンがどのような大会なのかご紹介しましょう。実は私も第1回から同大会に出場しており、すっかりファンになったリピートランナーの1人です。同大会は記録を狙うようなマラソン大会ではなく、楽しみにフォーカスしたファンランイベント。宮城県登米市の長沼フートピア公園を拠点に開催され、フルマラソンとハーフマラソン、親子ラン、リレーマラソンなどが行われます。

 長沼は1周が21.0975Kmあり、ハーフなら1周、フルマラソンなら2周するコースです。そう聞くと、中には「同じところを2回走るのは嫌だ」なんて思われる方がいるのではないでしょうか。しかし同大会、2周回でも苦にならない仕組みがあります。

 それが、コース上に設けられたエイドステーションで提供される、さまざまな食べ物。いぶりがっこ、ステーキ、ホヤ、ソーセージ、そば、餃子など……東北各地のご当地グルメが驚くほど提供され、しかも、1周目と2周目では食べ物が入れ替わるのです。「次は何が食べられるのだろう?」なんて考えながら走っていれば、2周回なんてあっという間ではないでしょうか。

 また、同大会は第2回大会から“仮装賞”を設けています。例年、前年に開催されたメドックマラソンと同じ仮装テーマが設けられ、豪華賞品での表彰を実施。そのため、コース上には仮装ランナーが溢れ、もはやマラソンというよりお祭り状態です。

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 そのほか、会場ではランナー以外も楽しめるステージパフォーマンス、食や日本酒のフェスティバルなどが同時開催。子どもから大人まで、そしてランナー以外まで楽しめる点こそ、東北風土マラソンの魅力であり特徴と言えるでしょう。

東日本大震災が竹川さんの心を動かした

 竹川さんは神奈川県横須賀市の出身で、もともと特に東北地方と縁があったわけではありません。しかし2011年3月11日に起きた東日本大震災が、竹川さんの人生を大きく変えることとなったのでした。

「ちょうど2011年4月に、アメリカで新会社の立ち上げが決まっていました。たまたま3月11日は東京にいて、自宅に歩いて帰るなど少なからず被災を体験しています。しかし、その3日後にはアメリカへ発たなければならず、日本を離れることに少なからず後ろめたさがあったんです。いざアメリカに行ってみると、あちらでの報道も凄かったですよ。悲惨な場面ばかりが取り上げられ、まるで日本全体が沈みきってしまったような。滞在中、周囲からもどれだけ心配されたか分かりません」

 こうした反応を受けながら、故郷である日本のために何かしたいと思い立った竹川さん。そこで、インターネットを通じて復興支援を行うNPO法人への寄付集めを行ったそうです。

「NPO法人への寄付って、実際のところ、その寄付がどのように活かされているか分からないですよね。手触り感がないというか……。私は心配してくれた方々と東北とを繋ぐことができて、かつ、長続きする仕組みが作りたいと思いました。そこでたどり着いたのが、メドックマラソンを東北へという取り組みです」

2005年、ビジネススクール在学中から、少しずつ走り始めたという竹川さん。ボストンで初めてのハーフマラソンとフルマラソンを経験した後、国内外でいくつか大会に出場されてきました。

「日本と海外って、マラソン大会のスケールがまったく違うんですよ。だからこそ、マラソンを通じて何かできるのでは? と思いました。そして2012年にメドックマラソンを走り、それが確信に変わったんです。幸いにもそこで実行委員長にお会いでき、その思いを伝えたところ、やるべきだと言われました。つまり場所など何も決まっていない段階で、すでにメドックマラソンのお墨付きをもらったんですよね」


▲第1回大会には、メドックマラソンの実行委員長がフランスから来日

 2012年以降、メドックマラソンには6年連続で出場されている竹川さん。当時、行くからには誰かに会って話したいと思い、大会事務局へメールを送ったそうです。その3週間後に返信があり、実行委員長との接点に繋がったとのこと。その行動力があればこそ、東北風土マラソンは誕生したと言えるでしょう。

ビジネスとの違いにぶつかった第1回大会開催への道のり

 東北でメドックマラソンを開催したい。そう決めた竹川さんは、すぐに具体的なアクションへ移ります。しかしランナーではありながらも、これまで大会運営など経験したことはありません。そのため、大会開催は思った以上に困難が多かったようです。

「地方で何か新しい取り組みを始めるって、単純なビジネスの論理だけでは進まないんですよね。私はビジネスのやり方しか知らず、それで突っ走っていました。しかし、ビジネスプランができてスポンサーが決まった段階で大切なことに気付いたんですよ。ビジネス上の大きなピースだけ作っていて、肝心な地元が実はまったく温まっていませんでした。最初は極端な話形だけ作って主に地元の人たちが大会は運営してくれたらと思っていたし、その方が長続きすると考えていたんです。でも、違いましたね」

 当時、基本的にアメリカを拠点として暮らしていた竹川さん。しかしこうした状況を受け、2013年末には日本へ戻ったそうです。登米市での開催を決定後、地元のNPO法人や観光協会などと繋がりを持ち、協力を得ていたものの、それだけではなかなか実行までは達せず。最終的に、納得してもらうには自分が行くしかないと決めたと言います。

「メドックマラソンはもちろん、日本ではパラカップも大会運営の理想形でした。また、スポンサーも理想があって、幸いにも飛び込みでのアプローチや一本釣りで事が運んだんです。人づての紹介にも本当に救われました。そうやって、理想形から入れたのは良かったと思いますね。でもその反面、当初は地元の行政や警察、消防、コース周辺の人々などに広がっていなかった点はデメリット。日本に戻ってから2〜3ヶ月は、そうした地元での動きにとにかく時間を割きました」

 会場付近の家を1つ1つ回って同意書をもらい、それをもとに警察へ申請。第1回大会が2014年4月開催だったのに対し、実は全て整ったのが2014年2月下旬とギリギリだったそうです。しかし、いざ開催してみれば1300名ものランナーが参加。事故なく安全に終えられ、大勢の人で盛り上がりました。

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