2019年7月7日

有森裕子が人見絹枝から受け継いだもの。「日本女性スポーツの環境を大きく変えた偉大なアスリートです」【いだてん】

 日本人初のオリンピアンとなった金栗四三と、1964年の東京オリンピック招致に尽力した田畑政治を描いた、宮藤官九郎さん脚本によるNHKの大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』。

 7月7日放送の第26回「明日なき暴走」では、菅原小春さんが演じる人見絹枝が1928年アムステルダム・オリンピックに出場。「女性がスポーツをするなんて……」と言われたこの時代に、女子スポーツの歴史を切り開いた人見の挑戦が描かれます。

 この放送を前に、女子マラソンでバルセロナ・オリンピック銀メダル、アトランタ・オリンピック銅メダルという2大会連続メダルに輝いた有森裕子さんがコメントを寄せました。有森さんは人見と同郷の岡山県出身で、さらにはある共通点もあるとのことで、小さな頃から現在に至るまで、人見の影響を大きく受けてきたと語ります。

 日本女性スポーツの歴史を切り拓いた人見の意志を受け継ぎ、世界で活躍した有森さん。人見への思いを語ったコメントをノーカットでお届けします。

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“8月2日”という共通点

▲1996年アトランタ・オリンピックで銅メダルを有森さん Photo:Getty Images

「父方の祖母が人見絹枝さんと同じ学校の1年後輩だったそうです。すば抜けて運動神経のよい人だった反面、とてもエレガントな方でもあったそうです。岡山ではとても有名な方で、地元で行われる山陽女子ロードレースでは優勝者に人見絹枝杯が贈られるんですよ。私はその第一回大会で人見絹枝杯をいただき、そのときに祖母にトロフィーを見せ、とても喜んでもらったことを覚えています。

バルセロナ・オリンピックは祖母が亡くなったあとでした。お守り代わりに、人見絹枝杯をいただいたときに祖母と一緒に撮った写真を持っていったんです。そのつながりで、人見さんにも見守ってほしい、後押ししてほしいという気持ちになり、人見さんの写真も持っていきました。

▲現役時代の人見絹枝(写真手前) Photo:Getty Images

彼女をより意識するようになったのは、オリンピックでメダルを獲得してからです。奇しくも私がバルセロナでメダルを獲ったのは、人見さんがアムステルダム大会で銀メダルを獲得したのと同じ8月2日でした。そして人見さんが亡くなったのも8月2日。そういったリンクする部分があったことと、やはり自分がそれまでやってきたことと彼女の生き方に共通点があったので、勝手に「(人見さんの思いを)受け継いでいかないと」と思うようになったんです。

こうして私たちが競技に出られて、世界で戦える環境を得られているのは人見さんのおかげ。人見さんは、日本女性がスポーツをすることの意義と、その環境を大きく変えた偉大なアスリートです。私自身、自分のたどってきた道筋を思い出せば思い出すほど、人見さんがしてくださったことの大きさを切実に感じます。その存在を世の中の方にもっと知っていただきたいですし、私も彼女の生き方を伝えていければと思っています」

【あらすじ】
第26回「明日なき暴走」(7月7日放送)
アムステルダム大会が迫り、体協が相変わらず資金難に苦しむなか、田畑政治(阿部サダヲ)は記者人脈をいかし、政界の大物、大蔵大臣の高橋是清(萩原健一)に選手派遣のための資金援助を直じか談判する。アムステルダム大会では女子陸上が正式種目に。国内予選を席けんした人見絹枝(菅原小春)はプレッシャーに押しつぶされ、期待された100メートルで惨敗。このままでは日本の女子スポーツの未来が閉ざされる──。絹枝は未経験の800メートルへの挑戦を決意する。

[プロフィール]
有森裕子(ありもり・ゆうこ)
1966年生まれ、岡山県出身。日本体育大学を卒業後、リクルート入社。女子マラソンでオリンピック2大会連続メダルを獲得(1992年バルセロナ・オリンピックで銀メダル、1996年アトランタ・オリンピックで銅メダル)。2007年の東京マラソンを最後に、プロマラソンランナーを引退。現在は、日本陸上競技連盟の理事、スペシャルオリンピックス日本の理事長、IOC委員などを務める
【公式Twitter】@animo33

<Text:編集部/Photo:NHK提供、Getty Images>