インタビュー
2019年9月2日

NMB48磯佳奈江「振り返ってみるとスゴい人たちと一緒にプレイしてた」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#24 (1/3)

 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載「アイドルと、スポーツと、青春と。」。

 今回登場するのは、「全日本U-12サッカー選手権大会」の公式レポーターやINAC神戸レオネッサ応援大使を務めるなど、サッカー経験を活かした仕事もこなしているNMB48の磯佳奈江さんです。

 物心がつく前から家族とサッカースタジアムに通い、小学校3年生からサッカーをはじめた彼女。当時のチームメイトの中には、現在もプロで活躍する選手もいるほどレベルの高い環境で練習を続け、6年生のときには全国大会でベスト8に。中学では、男子に混ざってサッカーを続けたことで、体格の差で負けないための強い精神力が鍛えられたとか。

 そんな磯さんに、前編ではサッカーをはじめたきっかけや、全国大会のことなどについて伺いました。

俊足を活かしてサイドバックとして活躍

――サッカーを習う前から、Jリーグを観戦することが多かったそうですね。

そうなんですよ! 私、出身が茨城県なので、鹿島アントラーズの試合に家族でよく足を運んでたみたいで。それから鹿島一筋でずっと応援しています。実は取材の後もスタジアムに行く予定です。あと、これは両親から聞いた話なんですけど、生まれてすぐの頃に鹿島の練習場で秋田豊選手が私のほっぺにキスをしれくれたらしいんですよ(笑)。

――サッカーをはじめたのは、どういうきっかけがあったんですか?

お兄ちゃんがサッカーをやっていて、小学校3年生のときに練習場の送り迎えについていったことがあったんです。そしたら自分と同世代の女の子たちがいて、「一緒にやってみる?」って誘ってもらって。

――それは女子サッカーのチームだったんですか?

はい。私の地元の市には、男子チームと女子チームの両方があったんですよ。当時、女子のチームはまだ珍しくて、茨城県に4つしかなかったんですけど、たまたま地元にあったのがラッキーでしたね。女子チームに巡り合わなかったら、サッカーをやっていなかったと思うので。メンバーは何人くらいいたかな? 練習中に8対8のミニゲームをやっていた記憶があるので、1年生から6年生まで合わせて20人弱くらいいたんじゃないかな。

――当時はどのポジションだったんですか?

フォワードをやりたかったんですけど、ずっとサイドバックでした。なんでだったのかな……。あ、足が速かったからかも。小学校でいちばん足が速かったんですよ。昔から外で遊ぶのが大好きで、体育の授業でも体力テストはずっとA評価だったし、いつもリレーの選手に選ばれてたし。

――すごく速かったんですね。

でも、中学校に入ったら、他の小学校から上がってきた子のなかに、めちゃくちゃ速い子がいて。50m走で私は7秒だったんですけど、その子は6秒台。負けたときは悔しかったのを覚えてます。

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