インタビュー
2019年9月2日

NMB48磯佳奈江「振り返ってみるとスゴい人たちと一緒にプレイしてた」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#24 (2/3)

――それでも十分速いと思います。

あと、当時は背が高かったのもディフェンダーになった理由だと思います。小3の頃からほとんど身長が伸びてないから、当時はかなり大きかったんでしょうね。センターバックをやってた子も大きかったので、背の順にディフェンダーを選んでたのかも。

――当時の背番号は?

6年生までずっと12番でした。私は柳沢敦選手が好きだったので、彼と同じ13番をつけたかったんですけど、最初に何も考えずに選んでしまって……。すごく後悔しましたね。でも、海外サッカーを見てたら、マルセロ選手をはじめ12番をつけてるスゴい選手も多いから、まあいいかって思えるようになったんですけど(笑)。

――サッカーを観る側から、プレイする側になったときに感じたことはありましたか?

サッカーを習うまでは「この人が空いてるのに、なんでパスしないの!?」とか思ってたけど、いざやってみるとボールを持ったら周りがまったく見えなくて。観るのとプレイするのはぜんぜん違うと思いましたね。

うれしい記憶より、悔しい記憶の方が残っている

――小学生のときには、週に何回練習があったんですか?

火曜と水曜は放課後に。土日は普段より長めの練習があって、木曜には新体操の先生に習って体を柔らかくする練習がありました。あと、練習がない日も毎日のようにボールに触っていた気がします。田舎なので庭が広かったんですけど、そこにお父さんお手製のゴールがあって、兄弟や友だちと一緒に試合をしてました。

――お父さんの手づくりってすごいですね。

ブランコや鉄棒、野球のベース、秘密基地なんかもつくってくれて。近所の友だちの遊び場になっていましたね。

――普段の練習では、どんなメニューをこなしていたんですか?

最初は、ジョギングをしながら柔軟をするブラジル体操というものをやって、その後はふたり一組になってトラップの練習。片方がボールを投げて、もう片方がインサイドキック、アウトサイドキック、胸、ヘディング……といろんな種類のトラップをしていきます。その後はパス練習とかシュート練習とか。ゴール前にいる人にパスをして、その人がちょこんと返してきたボールをゴールに向かって蹴る。私はこのシュートの練習がいちばん好きでした。

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