三宅弘城「幼い頃の夢はオリンピック選手。宮藤さんに『身体鍛えておきます』とアピールしてました(笑)」│いだてん:インタビュー (1/3)
日本人初のオリンピアンとなった金栗四三と、1964年の東京オリンピック招致に尽力した田畑政治を描いた、宮藤官九郎さん脚本によるNHKの大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』。
マラソンの金栗四三(演:中村勘九郎)が長く信頼を置いていた人物に、ハリマヤ製作所 店主の黒坂辛作がいます。頑固一徹な職人でしたが、金栗四三と二人三脚で足袋の改良に取り組むうち、2人は盟友になっていきます。
本作で黒坂辛作を演じるのは、三宅弘城さん。ナイロン100℃の劇団員として活躍する三宅さんは、宮藤官九郎さん、阿部サダヲさん、皆川猿時さんらとバンド『グループ魂』のメンバーとしても活動しています。都内では、そんな三宅さんを囲んだ合同インタビューが実施され、役柄への思いはもちろんのこと、宮藤さんや阿部さんらとのエピソードなどについて語ってくれました。
[プロフィール]
●三宅弘城(みやけ・ひろき)
1968年1月14日生まれ、神奈川県出身。1988年、劇団健康での初舞台を経て、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が主宰するナイロン100℃の旗揚げに参加し、その後は主要メンバーとして活躍。近年の出演作に『小河ドラマ 龍馬がくる!」(カンテレ系)、『監察医 朝顔』(フジテレビ系)、『サ道』(テレビ東京系)など多数出演。NHK Eテレ『みいつけた!』に、みやけマンとしてレギュラー出演中。宮藤官九郎や阿部サダヲ、皆川猿時らと共に活動するバンド「グループ魂」では、“石鹸”としてドラムを担当している。大河ドラマは、『新選組!』、『篤姫』に続き3度目の出演。●黒坂辛作(くろさか・しんさく)
東京・大塚の足袋屋の店主。金栗が偶然この店の足袋を履いて長距離走で優勝したことをきっかけに、マラソン用の足袋開発に二人三脚で取り組むことになる。頑固一徹な職人気質だが、金栗の年齢の離れた“盟友”となる。
【あらすじ】第35回「民族の祭典」(9月15日放送)
1936年夏。ベルリンで4年後の次回大会の開催地を決めるIOC総会が始まり、嘉納治五郎(役所広司)は「日本で平和の祭典を!」と熱く訴える。その直後に開幕したベルリン・オリンピックは政権を握るナチスが総力をあげて運営する大規模な大会となり、田畑政治(阿部サダヲ)を圧倒し当惑させる。マラソンでは金栗四三(中村勘九郎)と同じハリマヤ足袋を履くランナーが出場。水泳では前畑秀子(上白石萌歌)のレースが迫る。
辛作さん職人気質でカッコいい
――辛作さんは、金栗四三をハリマヤの2階に住まわせます。金栗さんに、どんな魅力を感じたのでしょうか。
金栗さんには、人間的な魅力があったと思うんです。辛作さんも動物的な勘で「この人は悪くない。助けてあげたい」と思ったんじゃないでしょうか。そして、一緒にマラソン足袋を開発していく。金栗さんの、ひたむきな姿と人間性に惚れたんでしょうね。ハリマヤが少しずつ、ちょっとした公民館と言うか、憩いの場みたいになっていきます(笑)。実際の撮影現場もそんな感じです。
――小松(勝)さん(演:仲野太賀/金栗の弟子)については。
金栗さんが連れてきたから間違いない、でも「違うタイプのおかしなやつが来たぞ」とは思ったでしょうね(笑)やっぱり、助けてあげたい、と思うようになる。
――1936年のベルリン・オリンピックでは、孫基禎(そんきてい)さんもマラソン足袋を履いて大活躍します。
日本人だろうがアメリカ人だろうが中国人だろうが、みんな一生懸命に走っている。そんな選手たちが、自分の足袋を履いてくれているとしたら、喜びもひとしおだと思います。辛作さんのセリフにも出ていますね。国籍なんて関係なく応援するし、勝ってくれたらやっぱりうれしいと。知らない国の人が自分の足袋を履いている、これは嬉しいですよ。
――辛作さんは、どんな人だったと思いますか。
典型的な下町の職人です。根は優しいんだけれど、照れ屋が邪魔して、つい乱暴な口の利き方になる。表面に優しさを出せないんですね。せっかちで短気、でも仕事にプライドがある。職人気質でカッコいいと思います。
――三宅さんと共通点はありますか。
私も若い頃に13年間、葛飾区に住んでいました。比較的、べらんめえ調のおじさんとかが多い中で、多感な時期を過ごしてきたんです。だから、ハリマヤさんに共感できる部分もあります。あと自分も、職人でありたいと思っています。役者として、できないって言いたくないんですよね。監督、演出家の注文には極力、応えたい。無理な注文でも、どうやったらそっちに行けるか考えて芝居をつくるときもある。役者として職人でありたいと思っています。
――撮っていて、難しいと感じたところは。
今回は突然、大河ドラマ参加のお話が来て、前のシーンとの兼ね合いもあって、動き、喋りの速さなど、映像を見ながら合わせなくてはいけなくて。特殊な撮影でした。でも何だろう、Mっ気が出てくるようで、キツいとやりがいを感じてしまう。そういった意味では大変でしたけど、楽しかったですね。
――一番好きなシーンはどこですか。
「シューズじゃねぇ、足袋だ」って言うところは、辛作さんの気持ちが出ていました。あそこから足袋の改良を重ねて、進化していく。辛作さん的にもターニングポイントだったんではないでしょうか。あとは、日光東京間駅伝の時に20時間連続で走っても壊れなかった、俺がつくった足袋が持った、というのは大きかった。新しいハリマヤさんの足袋ができた瞬間でもありました。ボクも、感動しながら芝居をした思い出があります。