夫がドーハで見届けた、寺田明日香が10年ぶりに挑んだ世界陸上とは【現地レポート】 (1/2)
MELOSでコラム連載中のママアスリート・寺田明日香選手が、先日、世界のトップ選手たちと肩を並べ世界陸上のスタートラインに立ちました。
寺田選手を一番近くで支えてきた夫の峻一さんと愛娘の果緒ちゃんも“ママ”を応援するべくカタール・ドーハへと駆けつけ、リアルタイムで観戦。結果は予選敗退と寺田選手にとって悔しいものでしたが、そばで応援してくれていた家族の存在は心強かったに違いありません。
そこで今回は現地で観戦された峻一さんにドーハのレポートをお願いし、レース前の会場の雰囲気や家族だからこそ感じる寺田選手への想いを率直につづってもらいました。
生涯忘れることのない体験
2019年10月5日、カタールのドーハにあるハリーファ国際スタジアム。この日この瞬間のことを忘れることは生涯ないと思います。
2年に1度開催される、世界最高峰の大会・世界陸上という特別な場は、妻にとっては19歳で出場した2009年のベルリン大会以来10年ぶり。9月に日本人初の12秒台を出し、日本記録保持者として大舞台に戻ってきました。
「妻のことはもちろん信じていたけど、本当に日本記録を更新して世界陸上に出場するなんて信じられない」という想いを持ちながら、家族(娘、私の両親、私)で妻の応援のためドーハの地へ向かいました。
去年の今ごろまでは、まさか自分の妻の応援のために我が子を連れて世界陸上を観戦するとは思いもしませんでした。
10日間にわたる大会のなか、妻の登場は10月5日(大会9日目)。妻が日本を出発したのは9月30日の深夜だったので、開幕した27日からの2日間は妻と一緒に家でテレビ観戦していました。開幕後も練習拠点で練習しており、練習仲間から「本当に出るんですか?」なんて笑いながら言われたそうです。
妻を送り出してから4日後、私たち家族はレース前日の朝にドーハへ到着しました。予想どおり35℃を超える気温と90%を超える湿度で、体感温度は45℃超。1分経たずに汗をかきます。織田裕二さんがテレビ中継で「ミストサウナ」という表現をされていましたが、私も空港で外に出た瞬間にメガネが曇る体験をしました。公共交通機関は発達しておらず、市内の移動はもっぱらUBER(海外で便利なタクシーのような配車サービス)を使っていました。
私たち家族はレース前日と当日の昼間に、日本代表選手団が宿泊していたホテルに連結していたショッピングモールで妻と一緒に食事をしました。日本代表の公式ウェアを着て登場した妻は、娘の前では膝枕で寝かしつけしたり、練習場の話を聞かせたりと、ママの顔を見せていました。私はというと、レース当日は緊張のあまり、妻がいる間はおしゃべりに、妻がいなくなると急に無言に。とくに本番当日、出発のために妻が私たちと別れてからはいよいよ本格的に胸の高鳴りを感じていました。
観客席から見届けた妻の姿
スタジアムまでは市内中心部から車で約30分。試合開始の約1時間半前に到着しました。荷物検査を受けてスタンドに向かう途中で、シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんが私たちのインタビューをしてくださいました。高橋さんは4月の陸上復帰戦でも取材にお越しいただきましたが、こうして世界陸上で再会でき、感慨もひとしおでした。
競技場内に入り、コンコースを抜けてスタンド内に入ると、まずその涼しさに驚きました。競技場内には冷房が完備されていたのです。
私たちの席はほぼフィニッシュラインの一直線上。横にはいつもどおり、ハンディカメラを手にしたTBSのM嵜さんがいました。妻の陸上復帰以来ずっと私たち家族を取材してくださっていて、まるで家族のような存在です。今回もTBSさんにはたくさん取材・放送をしていただき、私のSNSでも「観たよ!」と反響をいただきました。
ハードルをセッティングする間は娘をトイレに連れて行っており、帰ってきたときにはすでにハードルが鮮やかに並べられていました。いよいよ始まりの時。100mハードルの予選はこの日最初のトラック種目でした。
娘が通う保育園の先生と子どもたちがつくってくれた横断幕を慌てて準備していると、17時ごろになって妻を含む予選第1組の選手たちが登場してきました。アップを始めようとする妻の姿を目で確認したときは感無量でした。
今回の目標は、まずは準決勝進出でした(もちろん、東京オリンピックでは決勝進出です)。実は日本の女子陸上競技史上、オリンピック・世界陸上を通じて短距離・ハードルの個人種目で決勝に進んだのは、1964年の東京オリンピック・80mハードルで5位に入賞した依田郁子さんだけなんです。「決勝進出はそれくらい難しい」という言い訳ではなく、“高いハードル”だからこそ挑み乗り越えていく価値があると思っています。