2021年8月17日

衝動とリスクもまたセットなのです│連載「甘糟りり子のカサノバ日記」#64

 アラフォーでランニングを始めてフルマラソン完走の経験を持ち、ゴルフ、テニス、ヨガ、筋トレまで嗜む、大のスポーツ好きにして“雑食系”を自負する作家の甘糟りり子さんによる本連載。

 今回は、16年前、足首に入れた人工靭帯について。

先日、突然、右膝の裏にちょっとした痛みが走りました

 これを読んで下さっているみなさまに、改めてお伝えしたいことがあります。気軽に身体にメスを入れるものではないってことです。最近、ひしひしとそう感じております。

 身体にメスなんて書くと驚かれるかもしれませんが、私、16年前に右足首に人工靭帯を装着する手術を受けました。夢中になっていたテニスで捻挫を繰り返し、足首の靭帯が伸び切ってしまったのです。激しい運動をしたり何かの拍子に痛くなる程度で、生活に支障が出るほどではありませんでしたが、あの頃の私は手術を軽く考えておりました。乾電池でも交換するかのように、自分の身体の一部を取り替えられる気がしていました。

 何かの選手でもない、単なる趣味でスポーツをしている私が、靭帯が切れたわけではなく伸びただけなのにわざわざ足首を切り開くことに、スポーツ関係者の友人知人たちはいろいろなアドバイスをくれました。その多くは「止めた方がいいのでは」というものでした。ある人には、後になって後悔するよ、といわれました。手術したのは41歳で、そもそもそう若くもなかったのですが、もっと歳を重ねると思わぬ不都合が出るかもしれないと忠告を受けたのでした。

 あの時は聞く耳を持たなかったんですよね、私。不都合が出たらその時に悩んで解決すればいいや、と思ったのです。むしろテニスやランニングのためにメスまで入れちゃう自分に酔っていたと思います。ほんと、調子に乗りやすいもので……。

 あれから時は流れて、最近は自分の足に人工靱帯が入っているなんて、思い出すこともありませんでした。正直にいうと、執刀医のドクターが大学病院を退いていて、ここ数年、定期検診すら受けておりません。

 先日、突然、右膝の裏にちょっとした痛みが走りました。何か運動をしていたわけではなく、重いものを持っていたわけでもなく、降って沸いたように痛くなったのです。あわてて日に3、4回ストレッチをするようにしたのですが、一向に痛みは引きません。それどころか、徐々に痛みの周囲が硬くなってきたようにも感じます。

 さぼり気味だったジムを再開しようと思っていた矢先のことでしたが、日に日にジムやジョギングどころではない感じになっていきました。右足首がぎしぎししていて、メスを入れていない左足首とは別の部位のよう。

 思い当たる原因はたった一つ。16年前の手術です。

 いまさらながら、「後になって後悔するよ」という言葉が頭の中でリフレインします。これのことか、とね。

 ついには右足のふくらはぎままで痛みが及んだので、頼りにしている治療院に駆け込んだのでした。そこはマッサージだけでなく、針や電気などさまざまなアプローチで症状を改善してくれます。ぎっくり腰になった時に紹介されてから、何かある度に泣きついています。「何か起こったら、じゃなくて、普段から定期的にメンテナンスしてくださいね」といわれながらも、ほったらかしては不調をきたし焦って駆け込む、の繰り返しです。やー、私って人のいうこと聞き流しちゃう、ダメ人間……。

 凄腕の治療士のおかげで、おおごとになる前に症状が和らぎ、ストレッチを続けているうちに痛みや張りは治りました。

 きっと、これからも大なり小なりこういうことが起こるのだろうなあと思います。いや、歳を重ねるごとに重めな症状が出るのでしょう。きっと。だからといって、私は16年前の手術を後悔はしておりません。足首にメス入れて、新しい自分の身体を手に入れて、もっと能動的になりたいと願った自分の衝動を愛おしく思います。私は、人の衝動的な情熱の価値を信じております。それは美しいものに違いありません。

 でも、今になって、どんな形であれ、身体にメスを入れるということはリスクを伴うのだと実感もしています。孤独と自由がセットなように、衝動とリスクもまたセットなのです。最近リスクばっかり考えちゃう私ってどうなの? と、この原稿を書き出した時に伝えたかったことと逆の結論に至ってしまった次第です。

[プロフィール]
甘糟りり子(あまかす・りりこ)
神奈川県生まれ、鎌倉在住。作家。ファッション誌、女性誌、週刊誌などで執筆。アラフォーでランニングを始め、フルマラソンも完走するなど、大のスポーツ好きで、他にもゴルフ、テニス、ヨガなどを嗜む。『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』『エストロゲン』『逢えない夜を、数えてみても』のほか、ロンドンマラソンへのチャレンジを綴った『42歳の42.195km ―ロードトゥロンドン』(幻冬舎※のちに『マラソン・ウーマン』として文庫化)など、著書多数。GQ JAPANで小説『空と海のあわいに』も連載中。近著に『鎌倉の家』(河出書房新社)、『産まなくても、産めなくても』文庫版(講談社)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)。

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<Text:甘糟りり子/Photo:Getty Images>