一人ひとりの常識的な対策の上に、スポーツやエンタメが存在する│連載「甘糟りり子のカサノバ日記」#44
アラフォーでランニングを始めてフルマラソン完走の経験を持ち、ゴルフ、テニス、ヨガ、筋トレまで嗜む、大のスポーツ好きにして“雑食系”を自負する作家の甘糟りり子さんによる本連載。
今回は、新型コロナウイルスについて。感染拡大が続くなか、いつどのように収束するのか、現時点では出口が見えない日々が続いています。警戒しすぎていたかもしれないという甘糟さんは、いま大事なのは、冷静に怖がることだと自戒を込めて綴っています。
冷静に怖がること
ついにプロ野球は3月20日に予定していた今シーズン開幕の延期を決定しました。大相撲大阪場所は無観客で開催されています。日本だけではありません。無観客で試合を行っていたセリエAまでもが、4月3日までの中止を発表しています。
この事態がいつまで続くのか、何を持って収束とするのか、考えるとどんよりした気持ちになってきます。
私、1週間前までかなり神経質になっておりました。なまじ家でできるそもそもがリモートワークのような仕事のせいもあって、前にも増して引きこもり状態でした。出かける際は、ピタマスクの上に紫外線よけの鼻から首まで隠れるフェイススガードをして、髪はまとめて帽子をかぶり、両手は医療用のゴム手袋といういでたち。除菌スプレーとアルコールティシュを持ち歩き、自家用車でしか出かけないという徹底ぶりでした。宅急便や郵便局からの荷物を受け取る際も、家の中でマスクと手袋をつけておりました。
そんな折、先週のことですが、家の中で右手に怪我をしてしまいました。かなりの怪我で、救急車に乗って、市内にある総合病院の救急外来に運ばれたのです。怪我の詳細はまたの機会に。まだトラウマで、書くと気持ちが落ち込んでしまいそうで……。もちろん、救急車に乗る時も、マスクと左手だけは手袋でした。
救急外来のベッドで血が止まらない右手を左手で持ちながら、オペの準備が整うのを待っていると、心の中は正直コロナどころじゃなくなってきました。まだかかっていない病より、してしまった怪我の結末の方が気になってしまいます。当たり前ですが。
そうこうしているうちに、私もそこそこの怪我だったのですが、隣には大声で「痛え! 痛えよお! 何とかしてくれよおおお!」と叫ぶ男性が運ばれてきました。びっくりして、しばし右手の痛みも忘れてしまいました。
私のオペは局部麻酔で30分ほどで終わり、入院はしなくてすみました。右手の先には包帯をぐるぐると巻かれ、日常生活がいろいろと不便です。怪我をして3〜4日は生きているだけで疲れるって感じで、本を読んで映画を見て、思い切りゴロゴロしていたのですが、ずっとそうしている訳にもいきません。仕事を再開したものの、パソコンのキーがいつも通りには打てず、この原稿も普段は脇役でしかない左手が大活躍です。
何をするにも倍以上の時間がかかり、普通に生活をするだけでエネルギーを使います。こうなると、コロナ予防ばかりに気を向けてもいられません。
毎日、近所の病院に消毒と包帯の取り替えに通うことになって、久しぶりに鎌倉の街を散歩してみると、それなりに人は出ておりました。もちろん、いつものあふれんばかりの人ごみとは程遠いものの、生活者らしき人も観光客らしき人も普通に外に出ていました。
もしかしたら、私、ノイローゼ一歩手前だったのかも。家の外には邪悪な粉が渦巻いている、ぐらいのプレッシャーだったのですが、怪我で目が覚めました。我ながら大げさでした。
冷静に怖がること。そんな当たり前のことができていませんでした。反省。
3月10日には引き続き自粛要請をするよう、宣言が出されましたね。これを書いている時点では、無観客で行われることになっているセンバツ高校野球はどうなるのでしょうかと思っていたら、3月11日、開催中止が発表されましたね。
無観客の相撲中継を見ていると、プロアマに限らず、試合って見ている人=第三者の目線があってこそ成り立つものなんだなあと改めて思いました。勝ち負けだけではなく、それを見届ける人もまた参加者であると。
怪我をするまでは、なんでもかんでも自粛すれば、というか自粛しなければならないのだと考えておりました。でも、それは違うと今は思います。人には心、気持ちがある。そこにも栄養を与えなければ弱ってしまいます。一人ひとりの常識的な対策の上に、スポーツやエンターテインメントが存在する、そういう健全な世の中を作っていかなければならないのではないでしょうか。
[プロフィール]
甘糟りり子(あまかす・りりこ)
神奈川県生まれ、鎌倉在住。作家。ファッション誌、女性誌、週刊誌などで執筆。アラフォーでランニングを始め、フルマラソンも完走するなど、大のスポーツ好きで、他にもゴルフ、テニス、ヨガなどを嗜む。『産む、産まない、産めない』『産まなくても、産めなくても』『エストロゲン』『逢えない夜を、数えてみても』のほか、ロンドンマラソンへのチャレンジを綴った『42歳の42.195km ―ロードトゥロンドン』(幻冬舎※のちに『マラソン・ウーマン』として文庫化)など、著書多数。GQ JAPANで小説『空と海のあわいに』も連載中。近著に『鎌倉の家』(河出書房新社)、『産まなくても、産めなくても』文庫版(講談社)。
<Text & Photo:甘糟りり子/Illustration:Getty Images>