ライフスタイル
2024年12月18日

陸上選手・熊谷遥未さんがコラム連載開始「走ることも、働くことも、私のストーリー」

青森県競技力向上対策本部で陸上競技を行っている熊谷遥未(くまがえはるみ)と申します。

この記事では、競技のことはもちろん、プライベートな一面もお伝えし、私自身と陸上競技を多くの方に知っていただければと思っています!

陸上競技との出会い

7歳下の妹との写真

私がどうして陸上競技に出会い、どんな思いで挑戦し続けてきたのか。ここでは、陸上との出会いから高校時代までの歩みをお話しします。

小学生時代:スポーツとは無縁の日々

小学生の頃は8年間ピアノを習い、料理クラブに所属するなど、スポーツとは無縁の生活を送っていました。しかし、中学生になったら運動部に入りたいという憧れがあり、走ること以外に得意なスポーツがなかったため、陸上部に入部しました。

中学生時代:初めての挑戦

陸上部に入部したものの、全国大会に出場することはなく、無名の選手でした。

高校時代:挑戦と挫折

高校1年生では関東新人を100mで優勝し、2年生では南関東100m 8位、200m 9位になり惜しくもインターハイに出場できませんでしたが、3年生に向けて良い結果を残すことができました。

しかし、迎えた高校生活最後のインターハイ予選。レース中に肉離れを起こしてしまい、今まで積み上げてきたもの全てが一瞬にして奪われてしまいました。

現実を受け入れられず、陸上が嫌いになりかけましたが、周りの方々の支えや励ましのおかげで前を向くことができ、この悔しさを大学で晴らそうと競技を続ける決意をし、AO入試で法政大学に進学しました。

大学時代の挫折と成長

法政大学の「H」ポーズ

大学に入学すると、環境が大きく変わり思うようにいかないことばかりでした。

2時間の通学、経験したことのない練習量、そして想像を超える試合の規模感。全てに戸惑い、目の前のことに必死な日々が続きました。結果が出せず、怪我も多く、2年生までは高校時代の記録を超えられずにいました。

「このままでは成長せずに陸上人生が終わってしまう......」

危機感から自分と向き合い、周囲の方々の助けを借り、不器用だからこそ今までの倍以上練習をしました。その結果、個人としてもチームとしても成長し、今まで見たことのない素晴らしい景色をたくさん見ることができました。

法政大陸上部の仲間と

新たなスタート—競技は東京で挑戦中

私は東京生まれ東京育ちですが、2026年に開催される青森国スポに向けて、「青森県競技力向上対策本部」に採用されました。現在は青森県に住民票を移し、陸上競技に取り組んでいます。

「ASUNAROって会社ですか?」とよく聞かれるのですが、実業団の試合に出場するため、競技力向上対策本部のメンバーや青森県の選手で結成されたチームです。現時点ではASUNAROとしての活動を始めたばかりですが、今後の展開に向けて準備を進めています。

挑戦と努力の連続だったこれまでの歩み。このコラムを通じて、私のストーリーを少しでも感じていただければ幸いです。これからも応援よろしくお願いします。

熊谷遥未(くまがえ はるみ)
陸上競技選手

【種目】
100m 12秒11 / 200m 24秒44 / 400m 54秒64
【所属】
田園調布学園→法政大学→ASUNARO

Instagram
https://www.instagram.com/haruaya16

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https://x.com/harumiiiiiii_k

<Text & Photo:熊谷遥未>