インタビュー
2018年7月2日

スイミングは水が怖くて泣いてばかり。小中学校は野球でピッチャーとして活躍。元プロボクサー山中慎介(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #14 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第14回は、元WBC世界バンタム級王者の山中慎介さん。山中さんは高校ボクシングの名門・南京都高校入学と同時にボクシングを始めましたが、それまでは野球少年でレギュラーとして活躍していたそうです。なぜ野球の道へ進まずボクシングを志したのでしょうか。中学の卒業文集で書いた将来の夢は……?

スイミングが嫌で嫌でいつも泣いていました

――子どものころ、何を習っていましたか。

スイミングを少し習っていました。そんなに記憶がないんですけど、保育園のころですかね。近所に住む歳の近いいとこがみんな行っていたんで、僕も行かされていました。2年間ほど習っていたと聞いてるんですけど、毎日嫌だった記憶しかない(笑)。水が怖くて怖くて、泣いていましたね。

スイミングって順番に並んで泳ぐじゃないですか。僕はあと一人で自分の番となると、列を抜けて後ろに並んで、またあと一人となると後ろに並んで……と繰り返してたらしいです。それくらい嫌でした。でも、後悔しています。今、人並みには泳げるんですけど背泳ぎやバタフライできません。もし上手だったら自分の子どもたちにも教えられたでしょうから、続けていればよかったなとすごく思いますね。

小学校に入ってからは、スポーツ少年団の野球チームに入りました。入団が4年生からというきまりだったので、4年生から6年生まで。中学でも部活で3年生まで野球をしていました。野球を始めた理由は、まあ、田舎ですし、僕たちのころは選択肢がサッカーか野球くらいしかなかったから。サッカーも大好きだったので、サッカーでもよかったんですけど、仲がいい友だちが野球に多かったというくらいの理由です。

小学校のころはショートとピッチャー、中学はセンターを中心にピッチャーもやっていました。チームはものすごく強いという感じではなかったですけど、中学では県でベスト8になったので、まあまあですね。そのなかでレギュラーで出させてもらっていました。ボクシングと違って中学のときは“追い込む”という感覚はなく、団体競技ということもあって楽しく取り組んでいました。

――サウスポーの山中さんですが、野球もサウスポーですか?

野球では右投げ右打ちでした。もともとは箸も鉛筆も左なんです。小さいころに右に矯正されて、箸は右になったんですが、鉛筆は直らず左。でも習字の筆は右。なぜかハサミは右、包丁は左。僕もよくわからないんですが、持ったときの感覚ですね。言ってみれば両方使える。野球は誰に教えられるでもなくて右投げ右打ちでした。

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