インタビュー
2018年4月10日

ベイビーレイズJAPAN・傳谷英里香「やるならとことんの精神はバスケで培った」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#10 (2/3)

バスケットボールはチームスポーツだからみんな仲間なんですけれど、それと同時にライバルでもあるじゃないですか。だから、先輩をはじめ、上手な人たちにどうすれば追いつけるんだろうと思いながら過ごしていたんです。できないことがあると、家に帰ってからもフットワークとかシュートの練習をしていたくらい。もちろんゴールはないので、電信柱の決まった場所にボールを当てたり、ベッドで横になってボールをまっすぐ上に投げたりして練習していましたね。

——傳谷さんはすごくストイックですよね。でも、それを表には絶対に見せないタイプだと聞きます。

“頑張ってる感”を出して、周りにわかってほしいという考えにはならないんですよね。成果が出ても「自主練してよかった」と自分で思うだけで、その過程は見せる必要がないなって。

▲小学生時代の傳谷さん。試合に負けて泣いているときに撮った集合写真から

バスケだけでなく、陸上や水泳の大会にも出場

——傳谷さんはリレーの選手を務めるくらい足が速いことでも知られていますが、他の部活から勧誘されることはなかったんですか?

小学生の頃はいろんなところに出入りしていましたよ。夏は水泳、秋は陸上の練習をしてからバスケの練習をしていました。

——大活躍ですね。

バスケ部は人数が比較的多いから、他の部活の助っ人に行くことがけっこうあったんです。陸上部の大会に出たこともあります(笑)。

——大会まで出ていたんですね。当時のタイムを覚えていますか?

小学生の頃のタイムは覚えてないんですけど、中学生のときに50メートルを7秒くらいで走っていたと思います。

——全国平均を見ると、中学3年生で50メートルを7.2秒で走ると上位5%に入りますね。

おおー! すごい!

——水泳の方がどうだったんですか?

私、全然泳げなかったんです。AからCまで実力ごとにチームが分けられていたんですけれど、最初はCにいて、水に慣れるために顔をつけたり、水中に沈んだおもちゃの貝を拾ったりする練習をしていました。でも、Aチームを観ていたら楽しそうだったので、泳ぎ方を教えてもらったんです。そしたら、けっこう泳げるようになって、最終的にはAチームに入って大会に出ていましたね(笑)。

——ちなみに、バスケの成績はどうだったんですか?

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