インタビュー
2018年1月30日

野球で悪いことをするたび走らされていたので、実は走ることが嫌いだったんです。陸上・横田真人(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #8 (2/3)

親には「サッカー部に入りなさい」と言われたんですよ。サッカー観戦が好きだから。でも、あまのじゃくなので、サッカーは好きだったけれども「やれ」と言われるとやりたくなくなる。それで、当時、立教中学で一番キツい部活は野球部だったので、どうせならキツいほうがいいと野球部に入りました。もともと野球をやってみたかったというのもあります。ジャイアンツファンだったし、パワプロ(野球ゲーム「実況パワフルプロ野球」)もやっていたし。

――その後、陸上競技に出会った経緯を教えてください。

野球は中学3年の夏で引退。そこで無理やり陸上の大会に出させられたんです。自分としては、走ることは好きじゃなかった。というのも、野球部で悪いことするといつも走らされたんですよ。買い食い、先輩の道具を持たない、やるべき仕事をサボる、試合の合間に騒ぐ……怒られるたびにとにかく走らされ、走る=ネガティブなイメージがついていたんですね。だけど、悪いことばかりしていたので、鍛えられてどんどん速くなった(笑)。

守備もセンターで、中学の野球だからあまりボールは飛んでこないのですが、ライトとレフトのカバーに走らなければならない。だから学校で1番速かった。あ、でも盗塁はだいたい失敗していましたね。あれは、バッテリーとの勝負なので、牽制でよく刺されてました。

そういうわけで陸上の大会に出て、都大会で2位になりました。1位とは「勝った」と思えるくらいの差。悔しい気持ちと、「陸上を始めたばかりでこれなら、次は勝てる」という気持ちがありました。単純なんです。高校で陸上部に入って、しっかり走り込めば速くなると信じていました。

高校1年の都大会では6位。6位まではギリギリ南関東大会に行ける。南関東大会で6位までがインターハイに行けるんですが、都大会で6位ですから、南関東大会で6位に入るのは普通は無理ですよね。でも、高校の陸上部の先生は「おまえはこのくらい」と限界を決めるような先生ではなく、レース前日に「横田はインターハイに行ける」と言うような先生で。自分も少し「チャンスがあるかも」と思い込んじゃった。そうしたら、本当に滑り込みで南関東大会6位に入って、インターハイでは準決勝進出。2年生のインターハイで8位、3年生では優勝したんです。限界を知らないがゆえに強かった。

――緊張する場面で自信を持つことができるのは、ご家庭での育てられ方も影響しているのでしょうか。

親戚一同、ほめて伸ばしてくれましたね。小学校のころからなんでもほめられていました。「元気だね」「かっこいいね」と(笑)。

陸上の名門校に負けたくないと思っていた

――高校で陸上競技が花開いた一方で、大学受験もされました。勉強と部活動の両立だけでも大変なのに、周りのほとんどが受験せずそのまま立教大学に進学するなかで、自分の意志を貫くことはとても難しいことだと思います。

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