インタビュー
2018年3月5日

小学生のころはサッカーよりも体操、夢はオリンピック金メダリストでした。元サッカー日本代表・福西崇史(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #10 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第10回は、Jリーグで活躍し、サッカー日本代表として2002年のFIFAワールドカップ日韓大会、2006年のFIFAワールドカップドイツ大会に出場した福西崇史さん。現在はNHKサッカー解説者として活躍するほか、私生活では18歳と15歳の2人の息子さんの父親でもあります。そんな福西さんのスポーツの原点は、器械体操だったそうです。なぜ器械体操からサッカーの道へ進んだのでしょうか。

▼後編はこちら

幼いころからボールを蹴ってきた"エリート"ではない、だからこそ器械体操の経験が自分の武器に。元サッカー日本代表・福西崇史(後編)【子どもの頃こんな習い事してました #10】 | 子育て×スポーツ『MELOS』

山を駆け回り、海に潜る“野生児”でした

――小さいころの習い事を教えてください。

器械体操が最初の習い事でした。もともと3歳上の兄が体が弱く、体操をさせて強くしようと親が習わせていたんです。僕は3歳のころから送り迎えで一緒に連れて行かれて、自然な流れで5歳くらいからその教室に入りました。レッスンは週2回くらいだったと記憶しています。

最初は楽しく体を動かすだけ。それから競技に入りました。吊り輪やあん馬……ひと通り練習しましたね。ちょうど清風コンビ(西川大輔・池谷幸雄元選手)が人気のころ。畠田(好章・元日本代表選手)さんは徳島県出身の方ですから、愛媛県出身の僕は四国大会に行ったときに、間近で見たんですよ。すごかったですね。

――サッカーはいつから?

サッカーを始めたのは、小学校4年生のころ。地元の少年団チームです。周りは野球をやっている子ばかりだったんですよ。野球が盛んな地域でしたし、親父も野球をやっていたので、親父と遊ぶといえばキャッチボールだった。なのにサッカーを始めた理由は、いつも一緒に遊んでいる友だちがサッカーチームに入ったから。その子が野球をやっていたら野球をしていたと思う。

そういえば、小6のころは塾にも通っていました。中学受験もしてないですし、勉強したくて行ってたわけではないです。なんで行ってたんだろう? やっぱり友だちが行き始めたからでしょうね。習い事はそれだけです。小学生のころは体操がメインでした。楽しかったです。

――当時、体操以外のスポーツも得意でしたか?

体育の成績はめっちゃよかったです、ずっと。体を使うことが好きでしたし、生まれ育った愛媛県新居浜市は自然がいっぱいで、遊びもいつも外でした。海もありましたし、スイミングスクールに行かなくても自然のなかで泳ぎを覚えました。いわゆる“野生児”。

ここでは言えないような危ない遊びもたくさんしていますよ。山道で絶対に足をつけないように自転車で上り下りする競争をしたり、ケードロのときはプレハブの上に隠れたり、2階から飛び降りて缶を蹴ったり。そこでかけひきも覚えたし、木からどうやって落ちると痛いか、海の岩場をどう歩いたら滑ってケガをするか。危機管理能力が養われました。

――自然から教わることって、たくさんあるんですね。

自然でしか覚えられないことって、めちゃくちゃありますよ。だから、僕はサッカースクールなどで子どもたちに「遊べ、遊べ」と言っています。学校が終わったあと3、4時間家に帰らないということもよくありました。自由でしたよ。

今の時代だと、特に東京は大変かもしれない。知らない人に声をかけられても話をするなという時代ですから。いろいろな事件があるから親として心配な気持ちもわかります。今の親は大変ですよね。

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