インタビュー
2018年7月2日

スイミングは水が怖くて泣いてばかり。小中学校は野球でピッチャーとして活躍。元プロボクサー山中慎介(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #14 (3/3)

父親は「がんばれ」とは言わなかったけれど……

――スポーツ全般得意だったという山中さんですが、両親さんから「勉強しろ」と言われましたか。

それほど言われませんでした。勉強は好きではないというのはわかっていたと思いますから。……あ、そういえば、そろばんも習っていました。忘れていました。小学校4年生くらいですかね。たいした級も取れずに、1、2年ほどですぐに辞めました。それもいとこが習っていたから一緒に行くことになったのだと思いますけど。そういう勉強系の習い事は得意ではなかったですね。

――小中学校時代、両親は野球の応援に熱心でしたか?

まあまあですね。父親はアツくなるタイプでした。アツくなるというか、「がんばれ、がんばれ」という声は絶対にかけないんですけど、実は気になってしょうがないタイプです。子どもに対して素直に意見を言える父親ではないので、接し方は下手ですが、試合にはいつも父親はいた記憶があります。高校のボクシング部の応援にも来てくれましたね。当時は恥ずかしいという思いが強くて、うれしいとは思わなかったですけど。

僕も、今、年長の息子と年中の娘がいますが、運動会のかけっこも直前は僕がめちゃくちゃドキドキして。あまり大きな声で応援するのはどうかなと思って冷静なふりをしていましたが、帰って録画したビデオを見てみたらめっちゃ大きな声を出していました(笑)。そんなに声を出している意識がなかったんですけど、今の時点でこうなので今後さらにヤバいなと思いましたね。

――父親として、自分の父親に無意識のうちに似てしまうところがあるんでしょうね。

いや、そうでもないですね。子どもに対して熱心な部分は似ていますが、小さいころ、自分の父親が素直に笑ったり、僕のことで「よかったね」とか「今日は何してきた?」と聞いてきた思い出がないので、逆に僕はそういったことをしてあげたい。うれしいときは素直に子どもに伝えるようにしています。そういうところは違いますね。

後編:高校からボクシングの道へ。野球やサッカーの経験が大いに役に立った。元プロボクサー山中慎介(後編)

[プロフィール]
山中慎介(やまなか・しんすけ)
1982年生まれ。滋賀県出身。ボクシングの名門・南京都高校入学と同時にボクシングを始める。専修大学進学後はボクシング部の主将を務めた。大学4年生時の国体で不本意な成績に終わったことからプロ入りを決意し、帝拳ボクシングジムへ入門。2010年に第65代日本バンタム級王座、2011年に第29代WBC世界バンタム級王座を獲得、以降2017年8月にルイス・ネリ(メキシコ)に敗れるまで12度の防衛に成功。2018年3月引退を発表。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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