体操、バレエ、ダンス。すべてはフィギュアスケートのためでした。プロフィギュアスケーター村上佳菜子(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #18 (3/3)
生まれ変わったらバレエダンサーに
――子どものころ習いたかったことはありますか。
そろばんと公文ですね。クラスの子がほとんどみんな習っていて「今日は公文だから」「そろばんだから」というのがうらやましくて。私はスケートでいっぱいいっぱいで習えなかったんですけど。
――体育の成績はよかったですか。
鉄棒やマット運動などはいいのですが、何かを持った瞬間に運動オンチになるんです。サッカーとか球技は「うわわ~」となっちゃって、まったくできなくて苦労しました(笑)。高校にはスケートの推薦で入学しました。「勉強しなさい」と言われたことはなかったんですが、高校のときは赤点をとったことはなかった。そこだけはがんばっていました。
姉は「勉強しなさい」とけっこう言われていて高校の物理の先生になりました。私はとにかくスケート。小学校3年で強化合宿に選ばれてから、母も「スケートに生きてほしい」「満知子先生のようなコーチになってほしい。そのためには結果を出さないと選手がついてこない」と思っていたようです。
――そこまでスケートに熱心に打ち込んできて、「もし失敗したら……」と思ったことは?
ないです。20年間、スケートのために生きてきて、「私からフィギュアスケートをとったら何もない」「とにかくがんばらなきゃ」ということだけ。「将来のために他のこともしておこう」とは思わなかったですね。生まれ変わったらバレエダンサーになりたいという夢はあるんですけど。でもやはりスケートを続けてきたから今のお仕事があるし、20年間スケートにかけてきたからこそ今がある。生まれ変わってもう一回、同じようにやるかといったらやらないですけど(笑)。
――しかし、フィギュアスケートは競争が厳しい世界ですよね。離れていった仲間をたくさん見てきたと思います。
そうですね。シニアになると、同期はほとんどいなかった。小さいころからいっしょに戦ってきた子、「すごい選手だな」と思った子もやめていった。寂しい気持ちもあります。でも、本人が納得してやめるのであれば、どのタイミングでもいいと、大人になった今は思います。
私自身、引退する最後の試合では気持ちよく滑り終えることができました。そのときの大会は、無理をせず自分の持っている技術の80%くらいのレベルでプログラムを構成したんです。自分ができるものを100%出し切ったうえでのパーフェクトで終わりたかったけれど、できなくなっていました。でも、80%でもパーフェクトだったし、みなさまにスタンディングオベーションをしていただいて最高の気持ちで終われました。挑戦し続ける努力も大事だけど、やめることがいけないとは思わない。自分が納得できる終わりかたをするという努力に切り替えてもいいと思います。
後編:リンクで大泣きしていた子ども時代、泣いたからこそ「がんばろう」と思えた。プロフィギュアスケーター村上佳菜子(後編)
[プロフィール]
村上佳菜子(むらかみ・かなこ)
1994年生まれ、愛知県名古屋市出身。スケートをしていた姉の影響で3歳からスケ-トを始める。2009年JGPファイナルで優勝。2010年に世界ジュニア選手権優勝。2010年~2011年シーズンGPシリーズアメリカ杯で優勝し、グランプリファイナルでは銅メダルを獲得。2013年の全日本選手権で総合2位となり、2014年ソチオリンピック出場。同年の四大陸選手権で初優勝、世界選手権は5年連続5回の代表入り。2017年競技生活から引退を表明。現在はプロフィギュアスケーターとしてアイスショーで活躍。また、タレントとしても日本テレビ「メレンゲの気持ち」のMCを務めるなど、テレビ、イベントなどで活動中。
<取材・撮影協力>
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<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>