インタビュー
2018年8月6日

成績やメダルよりも「でっかいトリプルアクセルが飛びたい」。プロフィギュアスケーター無良崇人(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #15 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 小学校のころサッカーチームに入っていた無良崇人さんですが、ほどなくフィギュア一本にしぼります。ずっと揺れることがなかったフィギュアへの思い。その根底にあった子どものころの「夢」とは?

前編:月曜から金曜までフィギュアの練習、日曜だけサッカー。プロフィギュアスケーター無良崇人(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #15

恩師から言われた「富士山を目指しなさい」の意味

――無良さんご自身で「子どものころこういうことを習ってみたかった」と思うものはありますか。

スポーツでは、他に習いたかったことは特にありません。小さいころから乗り物が好きで、特に車や航空機系がすごく好き。航空学校とか自動車専門学校に行ってみたいと思ったことはあります。モータースポーツも好きなんで、レースしてみたいな、とか。でも、結局フィギュアからは離れられなかった。

――フィギュアへの思いはずっとブレずに持ち続けていたんですね。

ケガをして「このまま続けられるのだろうか……」という気持ちになったことはありました。それでも「またがんばろう」という気持ちになれる。大学入った年にヘルニアになって動けなくなったときも、その少し前に、高橋大輔選手が右膝の前十字靭帯断裂からリハビリして復活したんです。その姿を実際に見て、「ああいうふうになりたい」という気持ちになりました。フィギュアへの思いはたとえ途切れそうになったとしても、いつも何かしらのきっかけで戻ってきていました。

――では、小さいころから夢は「世界選手権」「オリンピック」でしょうか。

意外とそういうわけではありませんでした。僕が小さいころ本田武史さんが全盛期だったんですが、「ああいうでっかいトリプルアクセルが飛びたい」という思いのほうが強かった。成績やメダルよりも、そういう気持ちでずっと練習してきました。

トリプルアクセルが飛べるようになったときは、「これでシニアクラスの試合に出られる」とうれしかったですね。 シニアの試合には、大ちゃん(高橋大輔)、織田(信成)くん、小塚(崇彦)くん、(羽生)結弦がいて、「この選手はこういう人だよね」と言えるくらい個性的な選手ばかり。

自分は大ちゃんの演技を見て「ああいうふうになりたい」と思って似た感じになった時期もありましたが、そこから自分というものを確立していきました。試合に出ることのモチベーションは自分らしさをいかに演技として出せるか、技術的な部分を含めて自分の納得できるものができるかどうか、でした。

恩師(トレーナー)から「富士山を目指しなさい」と言われたことも影響しています。世界にはエベレストなど高い山はたくさんあるけれど、富士山は形が美しいという個性がある。技術的な面ばかり追い求めるのではなく、みんなに「無良崇人はこういうフィギュアスケーターだ」と言われる存在を目指しなさい、と。確かに、上を目指したらいくらでも上がある。僕はそこを目指すには年齢的に難しかった。

フィギュアという競技は、他のスポーツと違って同じタイミングで誰かと争うわけではなく、常に自分との戦いです。それに対して最終的に順位がつく。だから、誰がどうだと意識するのではなく、個性や美しさ、自分らしさをどれだけ出して、自分のなかでの最高のパフォーマンスを見せられるかを試合の課題としていました。

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