“好き”は無敵。挫折して嫌いになりかけた新体操を再び好きになって乗り越えられた。新体操・畠山愛理(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #21 (2/3)
最後に自分の背中を押した言葉は、自分の原点だった
――苦しい状況をどのように克服したのですか。
そのときに救ってくれたのは、養護の先生の言葉でした。授業中に大泣きして保健室に行ったときのことです。その先生は中学1年生から3年生まで全国中学校体育大会に引率してくれた先生で、私が新体操を大好きでしかたないという姿も見ていました。
私が「苦しくてやめたい。この後の全国大会も棄権したい」と言ったら、「やめることは止めないけど、あんなに好きだった新体操、嫌いな気持ちでやめていいの? 最後に自分のために全国大会に出場してみたら」と言ってくださったんです。それで全国大会出場を決意しました。それでも「新体操が好き」とは正直思えなかった。
――なにか「好き」に戻るきっかけがあったのですか?
最後に自分の背中を押したのは、自分が書いた小学校の卒業文集の「絶対にオリンピックに出る」という言葉でした。苦しくて夢なんかどこかに行ってしまって、将来を考える力もなくなってしまっていたのですが、卒業文集を見て「こんなに新体操が好きだったんだ」と思い出して、日本代表のオーディションを受けることを決めました。これで落ちたらやめよう、受かったら絶対オリンピック出場するまであきらめないでがんばろうと覚悟を決めて。
オーディションには受かりました。中学3年生の1年間、まともな練習をしていなかったので技術として飛び抜けたものは一切なかったのですが、一番に手を挙げて「オリンピックに出る」と目標を伝えるなどすごく積極的になれた自分がいました。最終的に選んでもらったのは「将来この子は成長するだろう」という理由なのではないかと思います。それくらい飛び抜けた技術は何も持っていませんでした。
今思うと、代表に入る前の期間に挫折を経験してよかったと思います。代表に入ってからも苦しいことはたくさんあったけれども、挫折して嫌いになりかけた新体操を再び好きになって乗り越えられたということが、その後の挫折も「きっと乗り越えられる」という自信につながりました。
――新体操に挫折したけれども、救ってくれたのも新体操への思いだったということですね。
結局好きだったんです。そのときの環境に苦しんだだけであって、新体操自体は好きだった。“好き”は無敵だと思います。スポーツに限らず夢は興味があるもの、好きなものから生まれるもの。自分も新体操が好きだから、「上手になりたい」「オリンピック選手になりたい」と思った。将来、自分に子どもができたら、何が好きか日常でポロッと出た言葉も聞き逃さずに、その好きなことを伸ばせるような環境をつくってあげたいですね。