小学生で書道と英会話とサッカー、そして遊びに熱中していました。サッカー石川直宏(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #24 (3/3)
――ご両親から練習や試合について何か言われたことは?
ないですね。僕は試合結果によって喜んでいることもあれば悔し涙を流していることもありましたが、それに対して無言とまでは言わないですけど、特に何も言わず母がすぐにごはんを作ってくれた姿は印象に残っています。
父も何もいわなかった。小学校のとき寝坊してご飯を食べないで練習に行こうとしたときは「サッカーするのになんで飯を食わないんだ。せっかくお母さんが準備してくれたのに」と叱られたことはあります。サッカーよりも、人としての基本的なことについては厳しかった。
あとから聞いたのですが、僕の両親はサッカーのことを詳しく知らなかったので、「教えようにも教えられなかった。だから何も言わなかったのではなく、言えなかった」と言っていました。僕にとってはそれが逆によかった。2人ともサッカーに関しては僕の気持ちを尊重して黙ってサポートしてくれていたので、自分も責任を持って続けたかったし、続けなきゃと思っていました。何も言われなかった分、自分で考えて行動することも多かったように思います。
中学、高校と、部活に入らずプロへの道に専念
――プロ選手になりたいと思うようになったのはいつですか。
1993年、小学6年生のときにJリーグがスタートし、開幕戦を国立競技場に見に行ったときです。横浜マリノスとヴェルディ川崎の試合だったんですが、6万人近い超満員の雰囲気に圧倒され、「ここに立ちたい」と思いました。当然、Jリーグができたばかりで周りにプロになった選手はいないし、「どうしたらプロになれるんだろう」というところから考え始めて、目標を設定して。
横須賀出身なので、マリノスの小学生チームとよく試合をしていたこともあり、マリノスのことは知っていたんです。だから、中学生になってマリノスのジュニアユースに入り、高校でユースを経ればプロに近づけると考え、中学に上がるときにテストを受けて合格しました。ジュニアユースでは週5日、1時間ほどかけて練習場に通い、ユースでは週6日、さらに遠くの練習場に通っていました。
――中学、高校では部活に入らなかったそうですね。
入りませんでした。周りは女の子にキャーキャー言われたりして青春しているんですよ。僕は学校が終わったらすぐに帰宅して母が作ってくれたおにぎりを食べて、バスと電車を乗り継いで練習場に行って。みんなと遊ぶ時間はなかった。寂しい思いはありましたけど、たまに遊びに行くと、なんか違うなと。自分のやりたいことはこれじゃないと思いました。自分が何をすべきかをよくわかってたし、やるからには上手くなりたいしプロになりたい。自分の軸がはっきりあったので、それに従って判断していました。
――中高生くらいだとまだ周りに合わせたいという年頃だと思いますが、自分をしっかり持っているのはもともとの性格なのでしょうか。
性格です。周りになんと言われようと自分が決めたらやる。やるからには負けたくない。サッカーだけでなく勉強も、できないなりに一生懸命しました。練習が終わって家に帰ってくるのが11時近く。そういう生活を中学高校と6年間していたので、疲れて寝る前の30分だけ勉強しようとか、練習場に向かう電車のなかで復習予習しようとか、ちょっとした時間で積み重ねていましたね。
後編:うまくプレーができない……。そう悩んだときに父親がかけた言葉が分岐点になった。サッカー石川直宏(後編)
[プロフィール]
石川直宏(いしかわ・なおひろ)
1981年5月12日生まれ、神奈川県出身。ポジションはMF。5歳から地元・横須賀市のチーム、横須賀シーガルズでサッカーを始める。横浜マリノスジュニアユース、横浜F・マリノスユースを経て2000年Jリーグデビュー。2003~2004年、アテネオリンピックを目指すU-22日本代表とA代表に選出される。2003年Jリーグ優秀選手賞、フェアプレイ個人賞受賞、2009年にはJリーグベストイレブンを受賞。2017年、引退。現在は16年間在籍したFC東京で、「FC東京クラブコミュニケーター」としてクラブの発展に尽力している。<取材・撮影協力>
サッカーショップKAMO 渋谷店 https://www.sskamo.co.jp
<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>