「未来の自分に期待しよう。諦めるのはまだ早い」。柔道家・野村忠宏が高校生たちに伝えた“自分自身を乗り越える方法” (1/2)
スポーツ界のそうそうたるレジェンドたちが全国各地を巡り、未来に向かって頑張る高校生を応援するプロジェクト「ポカリスエット エールキャラバン2017」が、2017年5月から開催されています。
9月20日には、オリンピック3連覇の偉業を達成した柔道の野村忠宏さんが、長野県佐久市にある「佐久長聖中学・高等学校」を訪問。全校生徒に向けての講演会と、柔道部員への部活指導が行われました。
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野村忠宏が長野県で高校生に部活指導。「自分で意識は変えられる。今より厳しい気持ちを持ち続けて」 | 子育て×スポーツ『MELOS』
試合でも練習でも勝てなかった苦難の中学・高校時代
体育館に集まった1000人を超える生徒と教職員の皆さんを前に、壇上に立った野村さん。「私は、これまで柔道一筋でやってきました。今日は、その道の中で自分が見てきた世界や感じたこと、乗り越えてきたものなどについて、心を込めてお話させていただきます。皆さんにもスポーツや学業、将来に対してなど、いろんな思いがあるでしょう。講演会が終わった後には、今以上に熱い気持ちになって、もう一歩前に出る勇気や根性の大切さに気がついてくれたらうれしいと思います」と、挨拶をして講演がスタートしました。
今から約80年前におじいさんが実家の隣に建てた町道場で、3歳から柔道を始めた野村さん。お父さんは天理高校柔道部の監督で、叔父さんはミュンヘンオリンピック軽中量級金メダリスト、一歳違いのお兄さんも同じ道場で学んだという“柔道一家”で育ちました。
恵まれた環境と、オリンピック3連覇の輝かしい実績を見れば当然、順風満帆のエリート街道を歩いてきたと思われがちですが、中学校〜大学1年生までは、今の野村さんからはまったく想像できないくらい弱い選手だったというから驚きです。
小学校卒業後、野村さんは奈良県内有数の強豪校である天理中学・高校・大学へと進学。ところが、中学3年間の成績は、最高でも県内ベスト16。高校では、自分より30〜40キロも重い部員にボロ雑巾のように引きずられ、投げられ続ける日々。1、2年の頃は、試合にも出してもらえませんでした。
どんなに努力をしても、厳しい練習を重ねても、なかなか結果に結びつかない。辛く、苦しい毎日の中、野村さんは柔道を続ける喜びと明確な目標を見つけることで、自分を奮い立たせたと言います。
「小学生の時に祖父から教わって大好きになった背負い投げで、たまに大きい選手を投げ飛ばす瞬間だけが、私の喜びでした。だから、この技で強くなりたい、県大会で優勝したい、全国大会で活躍したいと思いました。今は弱いけれど、いつかはすごい選手になれる。未来の自分に期待しよう、諦めるのはまだ早い、もったいない! と」
柔道人生を大きく変えた大学時代の恩師の言葉
そんな野村さんに転機が訪れたのは、天理大学2年生の時。1984年ロサンゼルスオリンピック60キロ級の金メダリストである名将・細川伸二監督からかけられた言葉が、その後の柔道人生を大きく変えることとなります。