無くても走れる、でも不可欠。パラ陸上選手と義肢装具士が模索する、スポーツ用義手の可能性(前編)│わたしと相棒〜パラアスリートのTOKYO2020〜 (2/3)
多川:最初のモデルは今と比べてかなり重くて。「ちょっと重いな」とは思いましたが、タイムもガクッと落ちることはなく、ひとまず良いかなと。装着した結果、スタートは安定するようになりましたし、後は慣れるだけだと。7月以降は常に義手を付けてトレーニングをしていました。その途上で9月の北京パラリンピックに向けて、もう一段階軽いモデルを作ろうということになって。
沖野:初めてだったんで、最初に作るときもお手本がないというか。自分の知識だけでイメージを具現化する感じ。ただ、体重をかけた時に壊れるのが一番怖いですから、とりあえず頑丈に作ったら重くて(笑)。軽量化のためにボディを肉抜きしてもあまり変わらず、こんな重いものをつけて走るのもシンドイだろうと思っていたんです。
多川:8月ぐらいに、ギリギリのタイミングで完成して、パラリンピックは新型を付けて走りました。タイムが飛躍的に向上することはありませんでしたが、軽いので、初期型よりは走りやすかったですね。
沖野:そもそも、義手を装着してから以前の自己記録を超えるのにけっこう時間かかったよね。
多川:そうですね。義手を付けたことで遅くなったわけでもないですけど、速くなったわけでもなかった。
沖野:義手は無くても走れちゃうから、義足とは違ってそこが分かりづらいよね。
多川:義手装着前の100mの自己記録は2007年の4月に出した11秒23。更新したのは2014年の6月。11秒16ですね。
――コンマ7秒更新するのに、7年あまり。
多川:厳密に言うと、義手の良し悪しはまだ分からないというのが正直な答えです。僕の場合はスタートダッシュでは義手を付けた方が安定するので、それは前提としてありますけど、世界では今、たとえば一昨年のリオパラリンピックや昨年のロンドン世界パラ陸上だと、義手を付けていない選手も多かった。(障がいが)先天性か、後天性かで違いがあるとも思うんです。先天性なら別に付けなくてもやっていけると思いますが、後天的に切断した選手は、付けた方が元々の感覚と差異が無くなるかもしれない。
沖野:今までは身体のバランスを考えて、義手は付けたほうが良いというのが自分の考えでしたが、多川君は義手を付けてから自己ベストを更新するのに約7年かかった。人間は、腕が無いならそれなりの動き方をします。義手を付ければそれもまた然り。こと陸上競技に関しては単純に速くゴールできればいいのですが、以前、義手の有無でタイムを比べたりしてみても、そんなに差が出なかった。付けた方が良いのか、無くても良いのかというのが、自分の中でも少し分からなくなってきていて、最終的には選手と相談ですよね。軽くしようか、重くしようか、形を変えようか。左右のバランスが良くなっても、タイムに結びつくとも限らない。ものすごく難しい領域じゃないかと思いますね。
――〝慣れ〟という言葉がありましたが、具体的にどのように慣らしていったのでしょう?
多川:難しいですね。「義手を付けているから走りにくい」という訳では無いんです。義手を付けたことによって、身体の筋肉の使い方が多少変わると思うんですが、その意味では目に見えない慣れ、無意識的な慣れと言いますか。タイムを縮めることに時間を要してしまった一因もそこにあるのではないかなと。普段は義手を付けて生活していないので、左腕を中心とした生活の結果、どうしても姿勢や筋肉のバランスが偏ってしまう。ただそんなアンバランスさを克服するのがパラリンピックの醍醐味の一つでもあるかなと思っています。
沖野:本当に難しいです。例えば、走り幅跳びは踏み切ってから着地するまでに手を前方に回す動作が入ってくる。とある先天性上肢欠損の走り幅跳びの選手に義手を付けて貰った時、「装着した方が手を回しやすくなった」と言っていました。そこで「他の選手も同じかな?」と思って聞いたら、そんな訳でもない(苦笑)。人によって感覚が全く異なるんです。
多川:どこまで断端(切断面およびその周辺部位のこと)があるか、残っている筋肉と残っていない筋肉に応じた違いもあると思いますね。
沖野:でも、今の時点で他の選手と違うのは、多川君の場合、感覚のフィードバックが明確なんです。義手を身体の一部として捉えて、彼なりに分析しているんじゃないかな。
多川:義手を付けていない時間の方が長いので、その違いぐらいは分かるかなというところですかね。
沖野:おそらく、日本では一番長く義手を付けて競技していますから。
膨らむ、デザインの新構想
――感覚のフィードバックが鋭いという話がありましたが、沖野さんとしては、選手と相対する際にどのような点を工夫されていますか?