インタビュー
2018年1月18日

無くても走れる、でも不可欠。パラ陸上選手と義肢装具士が模索する、スポーツ用義手の可能性(前編)│わたしと相棒〜パラアスリートのTOKYO2020〜 (3/3)

沖野:たとえば多川君の場合は、彼のランニングフォームを見て義手の製作方針を考えました。彼はどちらかというとストライド走法ではなくピッチ走法。ピッチを上げるには、脚の回転数を上げる必要がある。脚の回転と腕の振りは相関性があるので、極力軽いものを付けてもらいたいという考えです。現在製作中の型もそうですね。今まではパラリンピックの前年とか、当年の春に新型義手ができあがっていたんですが、それこそ慣れに時間がかかるので、可能な限り早く欲しいという要望もあった。今のモデルが2020年までの完成型とは限りませんが、現時点でできる最良のものを早めに渡して使ってもらっていますね。

――北京の年にギリギリ間に合ったものが第2弾ということは、今はどのように変化しているのでしょう?

沖野:全然軽さが違いますね。

多川:今のモデルは5代目ぐらいです。2代目が北京、3代目がロンドン、4代目がリオで、次が今のモデルですね。

――今、義手製作のポイントは軽量化の一点なんですか?

沖野:今はそうです。逆に重くするのは後からでもできます。本当は他に構想もあるのですが、実行すると少し重くなってしまうので、どうしたものかと……。

――その構想とは、具体的に?

沖野:たとえば風防(風圧を考慮した)形状ですね。風を切れるようなデザイン。そうすると義手の先端がやや大型化するので重くなる。ただ、その変更がどう作用するか未知数ですし、お金もかかります(笑)。

多川:「こんなのを作ったから試してみないか」と言われて使ってみて、違和感があった場合にダメ出しできるかは、相手(義肢装具士)との関係性にもよると思うんです。沖野さんとは、そういうことを遠慮なく言える仲ですね。

▼後編に続く!

2020年を試行の場にはしたくない。パラ陸上選手と義肢装具士が模索する、スポーツ用義手の可能性(後編)│新連載「わたしと相棒〜パラアスリートのTOKYO2020〜」#1 | おすすめ記事×スポーツ『MELOS』

[プロフィール]
多川知希(たがわ・ともき)
1986年生まれ、神奈川県出身。パラ陸上競技T47クラス(上肢切断など)。東京電力に勤めるかたわら、陸上クラブAC・KITAで活動する。早稲田大学大学院在学中の2008年に北京パラリンピックに出場。2012年ロンドンパラリピックでは100mで5位、4×100mリレーで4位と2種目で入賞を果たす。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは4×100mリレーで銅メダルを獲得。2017年ロンドン世界パラ陸上でも同種目で銅メダルを獲得

[プロフィール]
沖野敦郎(おきの・あつお)
オキノスポーツ義肢装具(オスポ)代表、義肢装具士。1978年生まれ、兵庫県出身。山梨大学機械システム工学科在学中の2000年、シドニーパラリンピックのTV中継で義足のアスリートを見て衝撃を受ける。大学卒業後、専門学校で義肢装具製作を学ぶ。2005年鉄道弘済会義肢装具サポートセンター入社、2016年オキノスポーツ義肢装具(オスポ)設立
【HP】http://ospo.jp/

<Text:吉田直人/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:玉井幹郎>

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