インタビュー
2018年1月22日

2020年を試行の場にはしたくない。パラ陸上選手と義肢装具士が模索する、スポーツ用義手の可能性(後編)│わたしと相棒〜パラアスリートのTOKYO2020〜 (3/3)

多川:2018年、2019年と、東京に向けて国際大会が毎年あるんです。2018年はアジア大会(アジアパラ競技大会)、2019年は世界選手権(世界パラ陸上競技選手権大会)。出場できるかは別として、そこで着実にステップアップすることですね。2020年というゴールに向けてできることをやっていかないといけないので、1日1日を大切にしていきたい。あと950日くらいですか、あっという間ですよね。長所を伸ばす、弱点を埋める、双方で見ていきたいですね。そのために沖野さんとも引き続き協力して取り組んでいきたいです。

沖野:アイデアってけっこう話してる時に生まれるんですよね。風防のデザインをやりたいというイメージは以前からありましたが、さっき、今の義手が軽すぎると聞いた時に、またもう一つアイデアが思い浮びました。2020年に提案しても遅いので、2018年末ぐらいには形にしたいですね。一度完成すればまた新しいアイデアが派生していくと思います。彼が走り続ける限りは僕も協力し続けますし、彼の義手製作で試行錯誤してきたことを、後輩たちが使う義手に受け継いでいけば、〝多川知希魂〟は失われないと思う。ウチが潰れなければですけど(笑)

多川:沖野さんはご自身も陸上経験者ですし、選手の気持ちの汲み方も含めて、すごく情熱的にやっていただいています。走るのは遅いですけど。

沖野:うるさいよ(笑)。例えば0.01秒ってストップウォッチで言えばあっという間だし、距離にしても何センチとか。でも、僕自身も競技をしていたぶん、0.01秒でも速くなるためだったら努力を惜しみたくないんです。少しでも「この義手を付けていて良かった」と思ってもらえれば、作った甲斐があったかなと。

多川:逆に、義手製作は正解がないから楽しいという面もあるかもしれません。身に付ければ絶対に脚が速くなるというギアがどんどん出てくるのもどうなんでしょうか? 自分自身の努力は不可欠ですし、道具に頼り過ぎないのも大切かなとは思います。

沖野:逆に私としては、極論を言ってしまうと、彼が速くなって、「義手を付けているから速いんじゃないの?」という議論が起こったほうがうれしいですね(笑)。イチャモンつけられるくらい強くなってくれたらうれしいです。

――多川さんにとって義手とは。

多川:必要ですけど、無くても良い。矛盾しているかもしれないですけど、そんな感覚ですかね。

▼前編はこちら

無くても走れる、でも不可欠。パラ陸上選手と義肢装具士が模索する、スポーツ用義手の可能性(前編)│新連載「わたしと相棒〜パラアスリートのTOKYO2020〜」#1 | おすすめ記事×スポーツ『MELOS』

[プロフィール]
多川知希(たがわ・ともき)
1986年生まれ、神奈川県出身。パラ陸上競技T47クラス(上肢切断など)。東京電力に勤めるかたわら、陸上クラブAC・KITAで活動する。早稲田大学大学院在学中の2008年に北京パラリンピックに出場。2012年ロンドンパラリピックでは100mで5位、4×100mリレーで4位と2種目で入賞を果たす。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは4×100mリレーで銅メダルを獲得。2017年ロンドン世界パラ陸上でも同種目で銅メダルを獲得

[プロフィール]
沖野敦郎(おきの・あつお)
オキノスポーツ義肢装具(オスポ)代表、義肢装具士。1978年生まれ、兵庫県出身。山梨大学機械システム工学科在学中の2000年、シドニーパラリンピックのTV中継で義足のアスリートを見て衝撃を受ける。大学卒業後、専門学校で義肢装具製作を学ぶ。2005年鉄道弘済会義肢装具サポートセンター入社、2016年オキノスポーツ義肢装具(オスポ)設立
【HP】http://ospo.jp/

<Text:吉田直人/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:玉井幹郎>

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