インタビュー
2019年12月12日

VFX技術ナシでは実現できなかった『いだてん』の世界観。尾上克郎×井上剛×結城崇史が語る制作の裏側とは (2/3)

「いつも井上さんと駆け引き」(尾上)

―― 神宮外苑競技場のシーンについて教えて下さい。

[尾上]
神宮外苑競技場もストックホルム競技場と似たようなことなんですが、違う点は、実物が残っていないということ。資料も写真もほとんど残っていないんです。ほぼ幻に近い存在。でもドラマにはガッツリ出てくるのでこれも頭を抱えました。そこでとりあえず、国内で地面が土の競技場を東京近郊で探してもらった。下見に行ったら、許せる範囲だったので、そこで、やってみましょうとなったんです。でも、井上さんには、「ストックホルムみたいなことはできないので、なるべくカメラを動かさずに撮ってくださいね」とお願いしたんですが、全部のカットでカメラが動いてるんですよね。まぁ分かってはいたんですが、一応、釘は刺しておかないといけないと思って(笑)。

[井上]
カメラがジワーって感じで動くだけなら良いですかね、とかいろいろ相談したりして(笑)。

[尾上]
毎回、根切りあいみたいな駆け引きがありますよね(笑) 最初の設定が建設途中だったので、スタンドだけじゃなくて、木材の足場を加えたり人を足したり。いろんなものを、後からCGで加えています。ここは後に、学徒出陣のシーンでも登場する。そしてこれが壊された後に64年のオリンピックが開催される国立競技場ができます。運悪く、その国立競技場もなくなりましたけどね。

[井上]
(1912年に開場した)ストックホルム競技場はいまだに残っているのにね、なんでだろうね(笑)。あと、国立競技場は人々の記憶に残っている難しさもありますよね。最後まで見てもらえばわかりますが、神宮競技場はこのドラマのキモだし。

[尾上]
ほらね、こうやってプレッシャーをかけてくるんです(笑)。浅草十二階から見た神宮外苑競技場の絵もCGでつくりました。本当は遠くて見えないんだけれど、そこは強調して。富士山も入れましたね。

[井上]
ドラマで東京の街を描くにあたって、初めに、舞台になりそうな場所を実際に尾上さんと一緒に歩いて周ったんですよね。ここは坂が多いねとか、あのビルが建つ前はきっとここから富士山が見えていたよねとか、みんなで想像しながら散歩した。その経験が意外と大きかったんです。絵だけで話をするより、1回、歩いてみたのが良かった。きっと、あっちに海が見えたろうなとかね。

「震災のシーンは迷い続けました」(井上)

―― 関東大震災のシーンも、本物と見紛うほどのリアルさがありました。

[尾上]
台本を読んでいた時点では、どうなることかと思いましたね。緑山スタジオに瓦礫の屋外セットをつくって撮影しました。芝居をしている人物の周りはセット、その奥に広がる瓦礫の街はほぼ全部ミニチュア、というシーンもあります。震災そのものの現象を描くだけなら、壊したり燃やしたりでなんとかなります。でも、このドラマでは登場人物の心象、その後に続く人生の過酷さを、瓦礫の風景からも、視聴者に感じてもらわなければならない。悩みました。

美濃部孝蔵さんが、高台の神社から燃えている街を見下ろすシーンがある。どこまで描けば良いか、井上さんと話し合いました。あまりやりすぎると……。

[井上]
ここは映像を撮って、編集した後でも、まだ迷い続けましたね。情報の量とか見え方の部分は一番気を遣います。これで人に届くだろうか、あるいは逆に届きすぎてしまわないだろうか。意図しないところまでいってしまわないか、そのせめぎあいです。

[尾上]
ああいうのって、やりすぎると大変なことになるし、届かないとやる意味がない。ギリギリのところを探る。こと、震災になると難しいですね。

「ロス五輪のプールのシーン、あることが懸念材料でした」(結城)

―― ロサンゼルスオリンピックにおける水泳競技で使われたプールは、どのように撮影したのでしょうか。

[尾上]
最初にプール選びから始まったんですが、僕らとしては、実際と同じように屋外プールでやって欲しいわけです。屋内プールだと照明が水面に映ってしまいますから。でも撮影は冬。ということは、屋外の温水プールが必要になるんですが、競技用という条件を満たすのがなかなか無い。そこで僕も必死になって探しました(笑)。そしたら、国内に公式競技も可能なプールが2箇所だけあった。ひとつが愛知県のプールで、貸していただけることになった。下見に行ったらすごくよかったんですよ。プールが白いタイルで昔の面影を残していました。

観客スタンドは一部は使えましたが、一万人規模のスタンドがあるわけはないので観客も含めてCGで描かなければいけません。でき上がったシーンでは、「それ見ろ、すごい技術だろ」という感じにはしていません。視聴者が、VFXなんか気にせず、自然とドラマに入っていけるように配慮しました。

[井上]
いつも、これみよがしな感じがしないようにしてくれています。だから、CGを使っているなんて気付かなかった、全部実写だと思っていたという方もいらっしゃるのでは。それにしてもロスにしろベルリンにしろプールのVFX、お見事としか言いようがないです。

[結城]
実はこれ、イチバンの問題がほかにありました。当日、桜が満開になりそうだったんです(笑)。桜吹雪がプールに舞ってきたら、大変なことになります(笑)。

[尾上]
VFXとしては、ストックホルムでやったことの応用ですね。あのときのスキルと資産を活かせた。スタッフにも、あれだけの仕事ができた、という自信が備わってましたしね。ストックホルムのときと比べて、準備期間は1/10しかなく、カット数はあまり変わらなかったのにとても良い上がりでした。このあと、ベルリンオリンピックが続くわけですが、周囲をベルリンのプールに換えて同じプールで撮影しています。

「条件反射的につくっていかないと間に合わないんです」(尾上)

―― ほかに、どんなところでCGを使っていますか。

[尾上]
街にいくと、現代物や映っちゃいけないものが絶対あるんです。それを消すのが、毎回、ものすごい作業量です。第1回で、金栗四三さんの生まれた実家を撮ったときも、使えるのは風景の一部と橋くらいだった。田んぼの稲や建物の藁葺き屋根はCGで描き足したりしましたし。

茨城のワープステーションに明治大正期のオープンセットがあって、通りを、四三さんたちが走ってくる。距離は直線で70mくらいあるんですが、走ればあっという間です。遠くから走ってくるのを表現したかったので、通りの奥はCGの町並みを描き足しました。こんなことを日常的にやっています。

新橋駅のシーンは大井川鐵道で撮影しました。人と機関車以外は、すべてCG。カメラは自由自在に動きますし、もう大変です。あとは、シベリア鉄道の車窓の風景を巨大なLEDパネルに映したり。ウラジオストック駅については、資料もほとんど残っていなかった。軍事施設が多かったので写真もなくて、衛星写真から地形を類推したり。第一次大戦後のアントワープの風景は、実写版「進撃の巨人」をやったマットペインターが担当したので進撃の巨人っぽくなりました(笑)。個性が出ています。

とてつもない量の作業が毎回、出てくるので、条件反射的に作っていかないと間にあわなくなります。考えている時間がない。撮影現場には「とりあえず撮りましょう、後から何とかしますので」と(笑)。

「特撮がなかったら絶対に撮れなかった」(井上)

―― チームスタッフは何名くらいなのでしょう。

[尾上]
VFXは流動的ですがだいたい50名くらい、ミニチュア撮影に限ると18名くらいですね。模型のセット(ミニチュア)の制作には約3か月かかりました。プランニングを含めると5か月くらいでしょうか。

―― ミニチュアは同じものを使うんですよね。

[尾上]
基本的なところは同じです。明治時代は日本家屋が多いですけど、時代が下がると高層建築を増やしていきます。震災のシーンがあったら、煤けた汚しをします。窓を外したり、一部を壊したりして。撮影が済んだら、きれいに洗浄して、また塗装をやり直して、次は昭和に飾り変えて撮るという具合です。

―― 海外のものを再現するためにしている工夫はありますか。

[尾上]
例えば満州ですが、中国の古い街に近世になってロシアの街ができ、入れ替わりで日本が入ってきた。なので、建物や看板に和洋中が入り混じっている。いろんな資料を見ながら想像を膨らませていきました。この前まで浅草のシーンを撮っていた同じオープンセットで撮っているので(笑)、街の違い、国の違いを表現するために美術さんも大変だったと思います。

舞台となった国により、撮影するカメラも変えて、映画で使うようなルック(画調)を当てています。ロサンゼルスでは、極端に発色を良くして西海岸っぽい明るい画調に、ストックホルムはヨーロッパっぽいシックな色。ベルリンはファシズムを感じる鉛色に、日本の戦前では、暗い世相を意識しダークなトーンにしています。

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