インタビュー
2018年1月30日

野球で悪いことをするたび走らされていたので、実は走ることが嫌いだったんです。陸上・横田真人(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #8 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第8回は、元800メートル選手、現在はNIKE TOKYO TCのコーチとして後進の育成にあたっている横田真人さん。2009年に15年ぶりに同種目の日本記録を更新し、2012年のロンドン五輪では、同種目48年ぶりの日本代表という快挙を果たした横田さんは、小学校ではサッカー、中学時代は野球でレギュラーを務めていたそうです。そして、慶應義塾大学卒業、アメリカ公認会計士の資格取得と異色の経歴の持ち主でもあります。前編では、それぞれの習い事を始めたきっかけや、なぜ陸上の道に進んだのかについて伺いました。

水泳、サッカー、そろばん、英語を習っていました

――東京・渋谷区広尾出身、小学校から高校まで立教大学の附属校に通っていた横田さん。ご実家は会社を経営しており、いわゆる“お坊ちゃま”。どんな習い事をしていたのでしょうか。

いや、まあ(笑)。最初に通った“習い事”は、いわゆるお受験塾でしたね。お箸の正しい使い方を学ぶため豆をつまんだり、ぬり絵をしたりしていました。小学1年から6年までは水泳、2年から3年まではサッカー、2年から5年まではそろばんも習っていました。英語も5年から6年までやってたかな。

サッカーは、今、北海道コンサドーレ札幌に所属している都倉賢さんが1学年上に所属していたような強いクラブチームです。4年に上がるときに、少し遠いグランドに移ることになって、学校帰りに間に合わなくなり辞めてしまいました。

そろばんは、足し算引き算まではよかったんですけど、掛け算が入ってからやりかたがわからなくなって(笑)、「普通に計算したほうが早いのでは?」と思い始めてからやる気をなくしてしまいました。英語は単にやらされていただけ。「なんでここにいるんだ?」といつも思っていましたね。

――小さいころから文武両道だったんですね。

「器用貧乏」と言われました。スポーツはなんでも好きですし、運動神経もまあまあよかった。ただ、飛び抜けていた存在ではなく、そつなくこなしていたという感じです。水泳も選手コースに行こうと思えば行けるけれども「絶対来い」と引っ張られることはなかったし、サッカーも3軍まであるなかの1軍でレギュラーだけど、辞めるときにさほど引き止められませんでした。

一番まじめに習っていたのは水泳。習い始めた当初は嫌々だったんです。それでも小学3年までは学校で一番速かった。でも週1回のレッスンだけでは抜かされるようになったので、悔しいから5年から週2回に増やして、またトップになりました。負けず嫌いで、自分で「やるぞ」と決めると身が入るタイプなんです。

陸上の大会に無理やり出されて都大会2位に

――中学では野球部に入ったそうですが、それはなぜですか?

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