インタビュー
2017年11月25日

プロレスラーではなく、人間として、女として初めて自信が持てた。ブル中野氏(後編)【元プロアスリートに学ぶ、ビジネスの決断力 #5】 (3/3)

 そうですね。私は17歳当時に月70万円ぐらいもらってて、プロレスを辞めても貯金があったので、10年間ゴルフができたんですけど、あのとき収入がなかったら何にもできなかったでしょう。スポーツやってる人をポンと世間に出すって、ほんとに大変なことです。でも、話は下手でも、プロのレスラーですからプロレスの話はできるはず。だから、ここでいろいろ覚えて、独り立ちすればいい。そういうはじめの受け入れ場所を作りたかったんですね。

 こういうお店をやってると、いろんな企業からゴルフのコンペで呼ばれるんですね。今はタレントとしてもやらせてもらってるし、今までやって来たことが全部活きてます。ゴルフもあのときにやっておいて、ほんとに良かった。

今後は総合的なスポーツバーを展開していきたい

― スタッフは現役の選手ですし、気をつけていることはありますか?

 まず、ぶっ飛ばさない(爆笑)。やっぱり人を育てることが一番の苦労ですね。私がいないときは後輩たちに頑張ってもらわないといけないし、スタッフみんながここを好きになってくれる体制を作らないといけない。

 昔は私の試合を見て、ついてこい! という感じでしたが、今は言葉でちゃんと説明して、納得させなければ、上としてはダメ。その子のために、ほんとに親身になって考えていることを伝えるよう心がけてます。でも、たまには「お前はこんなこともわからねーのか!」って怒ることもありますよ(笑)。今、スターダムの解説をやらせてもらってますけど、私はもう選手の母親ぐらいの歳。毎回、選手の成長を母親の気持ちで見ています。

― 開店の資金はどうしたのですか?

 ゴルフでアメリカに行ってた最後の頃には、プロレス時代の貯金もなくなって、親に仕送りしてもらってました。最初の小料理屋を出すときも親に借りました。でも、必ず返せる自信あったし、実際1年以内に全部返しました。

― 今度の展開の計画は?

 私が最終的にやりたいのは、スポーツバーなんですよ。店内にリングを置いて、平日はお笑いや舞台に貸して、週末はプロレス会場になって、プロレスを観ながらお酒飲める。今はそれに向かって動いてます。いい場所が見つかり次第という感じですね。

[プロフィール]
ブル中野(ぶる・なかの)
1968年1月8日生まれ。埼玉県川口市出身。本名は青木恵子。1983年、全日本女子プロレスに入門。1985年、ダンプ松本に誘われて極悪同盟に参加、ヒールに転向する。1988年、獄門党を結成。1990年にはWWWA世界シングル王者を獲得、名実ともにトップレスラーとして君臨する。1997年、左靭帯のケガでプロレスを引退。2010年、キックボクサーでムエタイ選手の青木大輔と結婚。現在、GIRS婆BAR「中野のぶるちゃん」を経営。タレント、プロレス解説者としても活躍中。
【ブル中野オフィシャルブログ「元祖ぶるママ」】https://ameblo.jp/bullchan-0108/
【GIRS婆BAR 中野のぶるちゃん ホームページ】http://victory-inc.co.jp/bullchan/

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<Text:渡辺幸雄+アート・サプライ/Photo:小島マサヒロ>

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