インタビュー
2017年12月26日

小さく生まれて身体が弱かったけれど、体操や水泳を習ったことで克服しました。7人制ラグビー寺田明日香(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #7 (1/2)

 スポーツ界の第一線で活躍するアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第7回は、陸上100メートルハードルから7人制ラグビーに転向した寺田明日香選手です。100メートル11秒71の記録を持ち、2008~2010年の日本選手権では陸上女子100メートルハードル3連覇という快挙を成し遂げ、2009年には世界ジュニアランキング1位、世界陸上出場も果たしました。2013年に引退し、2014年に結婚・出産。そして2016年12月、7人制ラグビー女子のトライアウトに合格し、新たなスタートを切った寺田選手。小さなころからスポーツ万能だったそうですが、どんな習い事をしていたのでしょうか。

体操教室に水泳、ソフトテニス、日本舞踊も習っていました

――小さいころの習い事を教えてください。

最初の習い事は、スポーツクラブの体操教室です。2歳から4歳まで習っていました。2100gほどの低体重児で生まれ、気管支が弱く風邪をひきやすかったので、両親が身体を強くしようと習わせたんです。体操をやっておけば、その後、他のスポーツをするにも柔軟性や身体の使い方の基礎が役立つのではないかとも考えていたようです。私自身はよく覚えていないんですが、マット運動や鉄棒などを練習していました。

小学1年から6年までは、ソフトテニスと水泳を習っていました。ソフトテニスは地域のチーム。男の子は野球、女の子はソフトテニスに入る子が多くて、親同士のお付き合いで入ったようなものですが、友だちも増えて楽しく通っていました。水泳は体操教室同様、気管支を強くするために始めて、けっこう泳げるようになりましたね。4年生ごろに選手コースに上がるかどうか迷ったんですが、ちょうどそのころ陸上教室に入って、初めて出場した試合で地域で2位、北海道大会で4位になったんです。両親が陸上選手だったこともあり、陸上への期待が大きくて。中学で陸上部に入ったことを機に水泳はやめました。

――スポーツ以外の習い事はしていましたか。

小学3~5年生くらいのときは、公文と英語。同じころ日本舞踊も習っていました。あまり覚えていないですけど、発表会に出ている写真があったので。日本舞踊の先生のところで民謡も習っていました。日本舞踊を習うきっかけは祖母の勧め。祖母はたぶん日本舞踊や民謡を続けさせたかったんだと思うんですけど、スポーツのほうが周囲の応援や期待が大きかったので、そちらに向かいました。

どの習い事も、自分から「やめたい」と思ったことはないんです。節目節目で時間的な都合があって「どちらを選ぼうか」と選択した結果、陸上一本に絞られたという形です。

――たくさん習い事をしていたんですね。

はい。小学生のときはけっこう忙しかったですね。水泳は水・金の週2回。陸上は月・木・土の3回。ソフトテニスは日曜。空いている日は、友だちとサッカーか野球、または学校の体育館開放で一輪車に乗っているか、バスケットボールをするか……。とにかくずっと動いていました。外遊びばかりで、部屋の中で遊んだことはほとんどなかったんじゃないかな。6歳年下の妹も足は速かったんですけど、性格が私と真逆で、勉強かマンガかゲームか。妹はインドア派なんですよ。

元陸上選手の母に陸上を教えてもらったけれど……

――小学4年生で始めた陸上は「周囲の期待も大きかった」とのことですが、自分としても楽しかった?

そうですね。もともと走るのが好きだったので競技自体は楽しかったです。でも、始めた当初、半年間くらい母に教えてもらっていたんです。それでガミガミ言われるのが嫌で……。学校から帰るとまず「早く走ってきなさい!」。20分間、町内を周回していると、母がたまに見に来て「遅い!」「何周走った?」。それが終わると、母が出てきて「公園行くよ!」と公園で短距離の練習。ガミガミ言われすぎて、練習から帰るともう母の顔を見てごはんを食べたくない。そこでまた「食べないと早くならないよ!」と言われて仕方なく食べる。魚が苦手で残すと「魚も食べないと栄養が……」。あまりにも嫌で寝たふりをしたこともありました(笑)。それで陸上教室に移ったんです。

私も娘(3歳)が生まれて、思ったのは、娘にとってママはママであって先生ではないので、そういう指導はなかなか難しい。ご家族がコーチとして練習しているアスリートはすごいなと思います。

――そこで陸上をやめたいとは思わなかったんですか?

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