インタビュー
2018年1月30日

野球で悪いことをするたび走らされていたので、実は走ることが嫌いだったんです。陸上・横田真人(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #8 (3/3)

高校内で受験する人は1割程度という環境。成績は普通程度でしたが、ただ、とにかく負けず嫌いなんです。陸上でトップを目指すことを常に貫いてきたように、勉強も一番になりたい。なれませんでしたけど、なれないなりにがんばっていました。小中高と立教だったので、外に出てみたいという思いもありました。

また、当時、陸上の名門校に負けたくないという気持ちも強かった。勉強よりも練習優先の強い学校に、勉強もスポーツも勝ってやろう。それが、僕のアイデンティティとなり、自信にもなったんです。

陸上部を選んだのは、比較的受験勉強と両立しやすいというのも理由のひとつ。個人競技ですから、自分の練習メニューをこなしていれば、途中で帰っても認めてくれる部だったんです。チームスポーツだとそうはいきませんよね。結果として、AO入試で慶應義塾大学に入学できました。

――子どものころの将来の夢は?

小学校から高校まで弁護士になりたいと思っていました。きっかけは覚えていませんが、成長するにつれて自分でも「向いてるんじゃないか」と思い始めて。話すことが得意だし、自分自身をアピールするのは好きではないけれど、他人の代理だと強く主張できる。ただ、司法試験は向いてなかった(笑)。

――オリンピック出場は、陸上を始めたころから目標としていたのですか。

全然。そもそも800メートルで食っていけるなんて思っていなかった。日本から世界大会に出る選手すらいない競技でしたから、まったく考えていなかった。今、コーチとして選手には「大きい目標を立てて、練習に落とし込むように」と話していますが、自分自身はオリンピックを考え始めたのはプロになろうと決めたあと。目の前にある、ちょっと手を伸ばせば届くというくらいの現実的な目標をコツコツと達成していった結果が、大きな目標につながったんです。

▼後編はこちら

勉強もスポーツも高めていきたい。その信念が大学受験やアメリカ公認会計士資格取得につながった。陸上・横田真人(後編)【子どもの頃こんな習い事してました #8】 | 子育て×スポーツ『MELOS』

[プロフィール]
横田真人(よこた・まさと)
1987年生まれ。東京都出身。2006年大学1年時に日本選手権初優勝(以降計6度優勝)。2009年男子800メートル1分46秒16の日本記録を達成する。2010年慶應義塾大学総合政策学部卒業後、富士通に入社。2012年ロンドン五輪男子800メートルで1964年の東京オリンピック以来48年ぶりの日本代表に。2013年拠点をアメリカ・ロサンゼルスに移し、2年間トレーニングを積む。2015年米国公認会計士試験に合格。2016年現役を引退、2017年富士通を退社し、NIKE TOKYO TCのヘッドコーチに就任。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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