インタビュー
2018年12月4日

中学まで剣道と野球。型にはまることが大嫌いな大柄少年でした。柔道家・小川直也(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #19 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第19回は、1992年バルセロナ五輪柔道男子95キロ超級銀メダリストで元総合格闘家の小川直也さん。物心ついたころから近くの剣道教室に通い、水泳も習い、小学校のときにはリトルリーグに入団。小学6年生のころには身長170センチ近くあったそうです。しかし、恵まれた体格にも関わらず、スポーツでは怒られることが多かったそう。その理由は……?

「体を絞れ」と言われ続けた少年時代

――小さいころの習い事を教えてください。

幼稚園に入る前、物心ついたころから剣道を習っていました。実家の近くに剣道場があったので遊びに行ったらそのまま入っていたという形です。スイミングスクールにも行っていましたね。公害病が問題になっていた時代だったので、体を丈夫にするためにと親が行かせていました。

小学3年生からはリトルリーグにも入りました。当時は、野球が国民的スポーツで毎日テレビをつければ巨人戦を放映していた時代。親父が野球好きで連れて行かれたんです。親の方針が、勉強よりもスポーツ。何があってもまず体が丈夫なほうがいいという考え方でした。

――剣道、野球、水泳、どれもよくできましたか。

剣道の試合ではそこそこ勝ってはいましたけど、安定した勝利はできず、飛び抜けた存在ではありませんでした。小さいころから背の順はいつも一番後ろ。防具も子ども用サイズだと入らないので大人用。それくらい体が大きかったせいか、竹刀がよく当たると逆に怒られました。「剣道はそういうものではない」と。自分としてはもどかしい部分がありましたね。

野球も大リーグのホームランバッターの真似をすると「フライを打つな」「軽く当てて転がすバッティングをしろ」と怒られた。いわゆる日本らしい野球指導ですよね。水泳でも「もっと痩せろ」とよく言われていました。身長から単純に100を引いた数を適正体重としていた時代だから、すべての競技で「もう少し体を絞らないと動けない」「太っているからだめだ」と言われてばかり。型にはめようとする指導も合わなかった。

――何年生まで続けましたか?

剣道は中学3年生まで。水泳も中学に入るまで続けていました。野球は中学で野球部に入って続けていました。守備は外野がラクかなと思ってやっていたら外野もけっこうきつい。ボケッと突っ立っていると「カバーに行け」とか。

そういえば、小学5年生まで書道も習っていました。字がうまくなるようにと親がやらせていたけれど、まったく身につかなかった。自分ではよく書けたと思っても、女の子たちがみんなうまくて。僕には無理だなと。「気持ちにブレがある」と言われても、どうやったら気持ちと字が一体化するのか、子どもにはわからなかったですね。

――親御さんはスポーツを熱心に応援していましたか。

僕の世代は親が試合を見に来ることはあんまりなかったですよ。うちの親は仕事もあったし、家に帰って「今日、試合どうだった?」「負けちゃった」と話す程度。「勉強よりスポーツ」の親でしたが、「勉強しろ」ともほどほど言われていました。塾にも小学生のころから週1で行っていましたし、中学でも受験のために塾に通っていました。

――そのころの将来の夢は?

F1レーサーです。車が好きでミニカーをいっぱい持っていて、とにかく車に乗りたかった。でも、小学6年生のときに、モーターショーに行ってレーシングカーの運転席に座れる機会があったんですが、ケツが入らなかった。そのころすでに身長が170cm近くあって、体が大きかったので。それでレーサーにはなれないことがわかった。悔しかったですね。

中学のときは、夢はなかった。特に目標なくみんなとゲームセンターに行ったり釣りに行ったり。当時プロレスブームだったのでプロレスはいつも見ていましたが、プロレスラーになりたいとまでは思わなかったですね。ただ、おもしろいなという程度。

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