インタビュー
2019年7月5日

陸上大会で好成績を収めてもやっぱり野球、いつもワクワクしながらグランドへ。横浜DeNAベイスターズ・山崎康晃(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #23 (3/3)

諦めずに続けてこられたのは成功体験があったから

――「絶対、プロ野球選手になってお母さん幸せにするから、応援して。それと絶対、甲子園に出場してマウンドで投げている姿を、お母さんに見せたい。オレ、ほんとうに頑張ってプロ野球選手になるから。年収5000万もらって家でも、なんでも買ってやるから」という手紙を書いていたそうですね。

あれは中学生か高校に入学したばかりの頃かな。小学生のころに稀哲さんがプロ入りしてプロのすごさを少しずつ感じていたので、中学校に入る前か中学生くらいのころには、「プロ野球選手になりたい」と口に出すようになっていました。

――スポーツの世界は厳しいので、心配する親御さんも多いと思います。

僕はこのような厳しい環境でもプロ野球選手になれた。なによりもお母さんが「あきらめるな」と言ってくれたんで夢を叶えることができたと強く思います。環境や周りの状況で判断は変わってきますが、僕としては、親御さんにはとにかく子どもたちにもあきらめない心を強く持つことを教えていってほしいと思っています。

――山崎選手はなぜ諦めずに続けてこられたんですか。

成功体験が大きいですね。失敗したときも誉め称えてくれて、次もワクワクした気持ちでグラウンドに来られた。そのときに「野球が好きなんだな」と実感しました。

――小さいころはそれなりに失敗もあったと思いますが、そんなときお母さんはどんな言葉をかけてくれましたか。

「好きなようにやりなさい」と言ってくれていました。思うように成績が出なくて、家でもイライラむしゃくしゃすることもありましたけど、「後悔するような人生を生きるんじゃない」「常に明るい気持ちで前を向いてがんばりなさい」と言われていました。

――中学生のときにむしゃくしゃしてタンスを殴って穴を開けたことがあると聞きました。

それは野球のことではなく、家族の時間がなかったことにイライラしたんです。周りのうちは家族一緒に夕食を食べて、朝ごはんもつくってもらっているのに、「うちはお父さんがいなくて、お母さんも夜遅くまでいなくて、ごはんもコンビニ弁当だったりして、どうなっているんだ」と言った覚えがあります。それでタンスに穴を開けた。

その時、お母さんは「あなたが大きくなったときにこの傷を見てどう思うか私は楽しみ」と言って、そのタンスをわざと残していました。中学、高校、ドラフトでプロに入るときまで家にありましたね。「こういう悔しい時代があったことを忘れないように、もっとがんばろうね」と。

――お母さんはどんと構えていらっしゃいますね。

すごいですよ。尊敬しています。僕も保護者の立場になったときにそう言えるかといったらわからない。間違った道に進まないか心配してしまうと思う。子どもはアンコントロールですから。僕のことを信じて教育してくれたお母さんに本当に感謝しています。

後編:「3年間ベンチだったとしても野球を続ける」と約束し、強豪校めざして練習へ。横浜DeNAベイスターズ・山崎康晃(後編)

[プロフィール]
山崎康晃(やまさき・やすあき)
1992年生まれ、東京都出身。帝京高校、亜細亜大学を経て、2014年に行われたドラフト会議で横浜DeNAベイスターズに1巡目指名され入団。入団1年目からクローザーを務め新人最多記録となる37セーブを挙げ、新人王に輝く。2018年には「新人投手として入団1年目から4年連続公式戦20セーブ」を達成。日本代表としても活躍。背番号19。登場時にファンが声援を送りながらジャンプする「ヤスアキジャンプ」はハマスタ9回の名物。
※山崎康晃選手の崎は立つ崎(たつさき)が正式表記です。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:森カズシゲ>

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