インタビュー
2022年3月10日

サッカーは自由なスポーツ。その楽しさを伝えたかった。高橋陽一先生が語る『キャプテン翼』に託した夢(前編)│熱血!スポーツ漫画制作秘話 #2 (2/2)

翼くんは読み切りのときは「翼太郎(つばさ・たろう)」という名前で、実はそこまで深い意味はなかったのです。単純に「翼」という文字と音の響きがいいなということで、タイトルも『キャプテン翼』というのは決定していたんです。ただ小学生にするときに、大きな夢を叶えていくというイメージとインパクトを考えて、翼を名前にして、苗字に大空を持ってきました。

——翼のキャラクターやプレーのイメージとなったモデルはいるのでしょうか?

特定の選手がモデルにというのはありませんでしたが、基本なんでもできる選手にしたいなというのはありました。とはいえ1980年代はマラドーナやジーコ、プラティニといった素晴らしいテクニックをもった10番の全盛期で、僕もそんな選手に憧れていた部分があったので、そういうすごい選手に近づいていったというのはあります。

ただ、ひとつだけ、これだけは外せなかったのは、翼をあまり背の高い子どもにしなかったことです。サッカーというスポーツ自体が他のスポーツと比べてあまり体格差が関係ないスポーツで、日本人の体格でもやっていけるじゃないかという思いがあったので、そこは生かしたいなというのがありました。それに僕自身も今は背が高いのですが、中学生になるまではあまり背が高くなかったので、その辺も反映されていると思いますね。

——翼の身長にはそんな理由があったんですね! そして、翼といえばとにかく明るく前向き。「ボールはともだち」というくらい、サッカーが好きで楽しくてしょうがないというのが全身から滲み出ています。

僕自身がスポーツをするのが好きなのも、単純に楽しいからやるという理由であって、誰かに無理やりやらされたりということではないんですね。そこが根底にあるので、スポーツの捉え方としてそこをまず伝えたいという気持ちが強かったんです。そして、サッカーというスポーツ自体もすごく自由なスポーツなので、よりスポーツをする楽しさを描きやすかったのではないかと思います。

——また、翼はブラジルにいってプロになるという目標を持っていましたが、1978年W杯はアルゼンチンが優勝、当時は奥寺康彦さんもドイツで活躍していたりと、むしろブラジルより他の国にフォーカスが当たってもよさそうな状況でしたが、なぜ翼はブラジルだったのでしょうか?

当時は個人技の南米、組織プレーのヨーロッパとスタイルが分かれていて、どっちかというと僕は南米のスタイルの方が好きだったんです。1978年もアルゼンチンが優勝しましたけど、ブラジルもその大会は無敗だったんですよ。(※当時は決勝トーナメントがなく2次リーグ制で、2次リーグの1位が決勝に進めるシステム)

それでも優勝できなかったけど、魅力的なサッカーをしていたし、強かった。そのあといろいろと調べているうちにW杯の優勝回数もいちばん多いし、ペレという名前も知っていたし、サッカー王国というイメージがあったので、翼が目指すのはブラジルだろうということになりました。

後編:翼は、サッカーの申し子。永遠に10番です。高橋陽一先生が語る『キャプテン翼』に託した夢(後編)

[撮影協力]
集英社グランドジャンプ編集部

[作品紹介]
『キャプテン翼』(全37巻)
サッカーボールを友達に育った少年、大空翼は小学6年生。南葛小に転校してきた翼は、修哲小の天才GK・若林源三と出会う。翼は若林に勝負を挑むが、決着は両校の対抗戦でつける事に!!

『キャプテン翼ライジングサン』(1〜7巻。『グランドジャンプ』にて好評連載中) スペイン プロサッカーリーグ「リーガ エスパニョーラ」の名門チーム、バルセロナに入団した大空翼は、新人ながらゲームメーカーとして、リーグ優勝をかけたシーズン最終戦に臨んでいた。そして、その先に翼が目指すもの、それはU-23日本代表を率いての、五輪での金メダル。翼たちの新たなる挑戦が、今ここに幕を開ける!!

・集英社グランドジャンプ公式サイト
http://grandjump.shueisha.co.jp/manga/tsubasa.html

[プロフィール]
高橋陽一(たかはし・よういち)
東京都葛飾区生まれ。1980年、『キャプテン翼』(集英社)でデビュー。1983年にはアニメ化。同作品は現在の日本でのサッカー人気はもとよりサッカーの普及に大きく貢献した。芸能人女子フットサルチーム「南葛シューターズ」の監督も務めるなど、漫画家以外の活動も積極的に行っている。

<Text:関口裕一+アート・サプライ/Photo:玉井幹郎>

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