インタビュー
2017年12月25日

東京パフォーマンスドール・高嶋菜七「毎週のように怪我をして。それでも野球が大好きだった」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#7 (2/2)

 私、目立ちたがり屋なので最初はピッチャーを目指していたんです。テレビでも真っ先に映るじゃないですか。だから、コーチに希望のポジションを聞かれたときに「ピッチャーやりたいです!」と宣言して投げてみたんです。でも、全然ストライクが入らなくてだめでした。結局、足が早かったのと瞬発力があったのでセカンドを任されることが多かったです。たまにショートもやりましたけど。

——内野を守ると、ボールがたくさん飛んできそうです。

 そうですね。でも、フライが苦手で。ボールが上がったときに太陽と重なると見えなくなるから。コーチは「体に当たったほうが近くにボールが落ちるから受け止めろ」って言うんですけれど、いつも逃げてました。

新たな怪我や痣が生まれ続ける日々

——怪我も多かったんでしょうか?

 もう毎週のようにしてましたよ。デッドボールで痣ができたり、スライディングの練習で怪我をしたり。ユニフォームに穴が空くこともありました。あの頃は身を削ってましたね。

——思春期の女の子として、肌が傷つくのは嫌じゃなかったんですか?

 私は特に気にしてなかったんですけれど、お母さんはけっこう心配してましたね。今でも消えない痣がいっぱいありますし。ただ、当時は自分が女の子だということを忘れてたんですよね(笑)。どちらかと言うと男の子と外で遊ぶ方が多くて、休み時間になると校庭に出てドッジボールをしてました。

——怪我のほかに嫌な思い出はありますか?

 私のチームではお弁当が禁止だったんです。おかずを取り合ってケンカしちゃうからっていう理由でした。でも、当時は食欲がすごかったので、すごく苦痛でした。お寿司なら15貫くらい食べてた気がします。今はもう5貫くらいしか食べれないんですけれど(笑)。

——では、お昼は食べないことが多かったんですか?

 おにぎりだけはOKだったんです。だから、お母さんに大きな爆弾おにぎりを作ってもらって、その中にウインナーとか卵焼きとか、おかずを入れてもらいました。今でこそ良い思い出として残ってますね。

▼後編に続く!

東京パフォーマンスドール・高嶋菜七「野球を通じてチームプレーの大切さを学んだ」(後編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#7 | 趣味×スポーツ『MELOS』

[プロフィール]
高嶋菜七(たかしま・なな)/東京パフォーマンスドール
1996年12月31日生まれ、兵庫県出身。2013年、全国8800人から選ばれた新メンバーでグループを結成。ノンストップで歌とダンスを繰り広げるライブ「ダンスサミット」を全国で展開し、2017年3月には中野サンプラザ公演を開催。NHK公式マスコットキャラクターのどーもくんとのコラボなど、活動は多岐に渡る。自身は同グループでリーダーを担当。シンガポールへの留学経験を持ち、英会話の特技を持つ。
DIGITAL SINGLE『現状打破でLove you』配信中。購入や試聴はこちらhttps://erj.lnk.to/zXK4t 
2018年3月14日(水)に6枚目のシングル発売が決定!
【TPD公式サイト】http://tpd-web.com/
【高嶋菜七Twitterアカウント】https://twitter.com/nana_t_tpd
【ライブ情報】
2018年2月20日(火)duo MUSIC EXCHANGE
2018年3月15日(木)Shibuya WWW X
2018年4月19日(木)Shibuya WWW X
2018年GW CBGKシブゲキ!! ※日程の詳細は後日発表
2018年6月3日(日)日本橋三井ホール

<Text:森祐介/Photo:石垣星児>

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