インタビュー
2020年6月2日

アップアップガールズ(2)鍛治島彩「バスケの顧問の先生が私の活きる道を示してくれた」(後編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#29 (1/3)

 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載「アイドルと、スポーツと、青春と。」。

 今回お話を伺ったのは、アイドルグループ、アップアップガールズ(2)の鍛治島彩さん。小学校2年生から中学3年生までの8年間、バスケットボールに打ち込んだにもかかわらず、試合には一度も出られない万年補欠だったそうです。

 それでも諦めずにバスケを続けられた理由は、中学で出会った恩師の教えにあったといいます。そして、その先生からもらった言葉に支えられて、今もアイドルを続けているとか。

 後編では、恩師と慕う中学時代の先生との思い出や、バスケットの経験がアイドルの活動に活きていると感じる点について聞きました。

前編:アップアップガールズ(2)鍛治島彩「万年補欠だったけど、バスケから多くのことを学んだ」(前編)

バスケの先生のおかげで見つかった「自分の活きる道」

――前編では、バスケ部で指導をしてくれた先生の話を聞きました。アイドルになる後押しをしてくれたのもその先生ですか?

「アイドルになればいい」と直接言ってもらったわけではないんです。でも、卒業式でバスケ部のメンバーみんなに手紙をいただいて、私には「あなたにできることはきっとあるから。君が活きる道をみつけなさい」って書いてくれたんですよ。ミニバスを含め、バスケでは活躍できなかったことを知ってくれたからこその言葉だったので、本当にうれしかったです。いまでもずっと覚えてる言葉です。ミーティングでもいつも熱い言葉をかけてくれたので、先生の言葉を集めて名言集をつくりたいくらい。

――担任の先生でもあったんですよね。

進路のことも相談していました。高校ではバスケはやらないって言ってたのに、先生が勧めてくれた学校はバスケ部のあるところばかりで。「もしかしたら、やりたくなるかもしれないから」って。いろんな可能性を考えて、勧めてくれたんだと思います。本当にありがたいです。

――それだけ鍛治島さんのことを考えてくれていた先生は、アイドルとしての活躍を知って、喜んでくれているのでしょうか。

それが中学を卒業した2年後に亡くなってしまったんです。

――そうなんですね。

実は何をしてもお姉ちゃんとか周囲の人と比べられるのが嫌になって、高校に入ってから1年くらいふてくされてた時期があったんですよ。

その間に中学校へ遊びに行ったことがあったんですけど、先生から「何かやれることは見つかったの?」と聞かれて、なにも見つからないままだったので「とりあえずバイトしてます」と答えたんですね。

そうしたら「なにか見つけたら教えてね」と優しく言葉をかけてくれて。だから、しばらくして先生が亡くなったことを知って呆然としてしまいました。

後から知ったんですけど、そのとき先生は病気で学校に来れなくなっていて、「最後に学校に1回だけ行きたい」と思って立ち寄った日だったらしいんです。その最後の日に会えたのも何かの縁だったのかなって。

――それでアイドルを目指そうと?

そうですね。あとは、高校2年生の頃に一緒に暮らしていたおばあちゃんが亡くなったのも大きかったです。私がお姉ちゃんと比べられるのをおばあちゃんも知っていて、「自分にもできることをなにか見つけてね」と生前に言ってくれていたことがあって。それで先生も同じことを言ってくれていたなって思い出したんですよ。

いつまでも、ふてくされてないで、なにか一歩を踏み出さないといけない。そう思った頃にアップアップガールズ(2)のオーディション情報を見かけたんです。それで誰に相談するわけでもなく、気づいたらおばあちゃんの仏壇の前で、スマホから応募をしていたのをぼんやりと覚えてます。

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