インタビュー
2018年1月24日

世界唯一のプロフットバッグプレイヤー石田太志が語るマイナースポーツの楽しさと寂しさ (1/3)

 フットバッグという競技をご存知ですか? これはお手玉ほどの大きさのボールを手や腕を使わず足で蹴りあげるスポーツ。

 リズムに合わせてダンスするようにリフティングをする「フリースタイルフットバッグ」や、連続で蹴り続ける回数・時間を競う「フットバッグ・コンセキュティブ」など、競技は多岐にわたりますが、もともとは足の怪我のリハビリのためにアメリカで考案されたことがきっかけのスポーツです。現在はアメリカやヨーロッパを中心におよそ600万人の競技人口がいるストリートスポーツとして広がりを見せているんです。

 実はこの日本に、フットバッグでアジア人初の世界チャンピオンになった方がいるのはご存知ですか? その偉業を達成した石田太志さんは、世界初のプロフットバッグプレイヤーとして日本を中心に世界を股にかけて活躍しているんです。そんな石田さんにフットバッグの魅力や、マイナースポーツを続けるためのこれまでのエピソードや、楽しさなどを語っていただきました。

進路を悩んでいる時に出合ったフットバッグ

 大学1年生の時、たまたま入ったムラサキスポーツでちょうどフットバッグを紹介しているコーナーがあって、フットバッグのビデオを流していたんです。ふと気がつくと1時間以上もそのビデオを見入っちゃっていました。

 悩んだ末にフットバッグのボールを購入して、いざ家でリフティングをしてみるとビデオのようにできなかったんです。でも練習している内に気がついたらフットバッグの魅力にハマってしまっていました。なんでハマったのかは分からないんですが(笑)。ちょうどその頃、小学校1年生から高校3年生まで続けていたサッカーを大学でも続けるか悩んでいた時期だったんですが、あっという間にフットバッグに転向してしまいました。

 はじめた当時の15年くらい前はまだYou Tubeがなかったので、ビデオを取り寄せたり、インターネットで英語を駆使しながらどうにかフットバッグのページにたどり着いて、それを見ながら練習していました。

▲フットバッグのボール。大きいものはイベント用、小さくカラフルなものは競技で使用するなど、用途にあわせて変えているそう

 学生時代のサッカークラブの友達にも声をかけてみると、同じ時期に東急ハンズでもイベントスペースが設けられていたりしていたみたいで、知っている人が何人かいたので、興味を持った人で集まって練習するようになったりしました。

 フットバッグをやり続けられた最初の原動力はとにかく店頭で見たビデオの中のプレイヤーが本当にかっこよかったんです。

 それから大学4年間はフットバッグに明け暮れていました。友達以外でも日本でフットバッグをしている人を見つけて代々木公園で集まって教えてもらったり。あと2003年に某炭酸飲料にフットバッグがおまけで配布されたことがあるんですよ! そこからフットバッグの認知度が爆発的に広まりました。メーカー主催の全国大会も開かれましたね。サッカーをやっている人は覚えている人が多いほど当時人気のキャンペーンだったと思います。

フットバッグは儲からない……アパレル会社への就職を決意

 その後、フットバッグの技術を磨くために1年休学しカナダへ行ったりしましたが、やっぱりマイナースポーツなので、続けていても金銭面の目処が立たないんですよね。なので、卒業してから一度、アパレル企業へ就職しました。

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