インタビュー
2018年12月12日

もう一度、陸上で。寺田明日香が7人制ラグビーから陸上競技に転向し、東京2020を目指す理由[特別インタビュー] (1/3)

「7人制ラグビーを引退し、5年ぶりに陸上競技に復帰してオリンピック代表を目指します」

 2018年11月末、7人制ラグビーで2020年東京オリンピック代表入りを目指し活動を続けていた寺田明日香さんから、MELOS編集部に衝撃的な連絡が入りました。

※寺田さんにはMELOSで今年4月からママアスリートとしての日々を綴ってもらうエッセイ連載を担当してもらっています。
▶連載:寺田明日香の「ママ、ときどきアスリート〜for 2020〜」のアーカイブはこちら

 突然の連絡に、状況が飲み込めない編集部一同……。しかも、正式に競技転向を12月上旬に表明することになっているとも。そこで急きょ、寺田さん本人へのインタビューを行いました。

 寺田さんは、陸上競技の女子100mハードルを専門に、日本選手権3連覇、アジア選手権銀メダル、2009年世界陸上出場など国内外で活躍を続けていたものの、相次ぐケガや病気により2013年に現役引退。しかし、その後は結婚、出産を経て、2016年に7人制ラグビーに競技転向を果たし、同競技での2020年東京オリンピック代表入りを目指していました。

 7人制ラグビーから、再び陸上競技へ。東京オリンピックまで2年を切ったいま、なぜ今回の決断に至ったのか。現在の率直な心境を語ってくれました。

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ラグビーで感じた現実と手応え

― いつ7人制ラグビーを辞めて、いつ陸上競技に戻るのですか。

7人制ラグビーは、もう事実上辞めています。そして12月に陸上競技に復帰するんです。

― 何と! そうなんですね。突然の話で混乱していますが、今月中に陸上競技に復活して東京オリンピック代表を目指すということですか。

そうです。種目は、個人で「女子100mハードル」と、団体での「4×100mリレー」の予定です。10月から陸上トラックでの練習も開始しています。

― 寺田さんは、2016年に7人制ラグビーに競技転向されました。

そもそも陸上選手だった私が、7人制ラグビーに参加するきっかけは「アスリートとして生きたい」という想いからでした。2013年6月で陸上を引退し、2014年に結婚・出産を経験しました。それでもアスリートとして終わりたくない気持ちが強くて、復帰を考えているときに出会ったのが7人制ラグビーだったんです。

子どもが2歳になったばかりの2016年8月にチームに入団、12月には日本代表トライアウトを受験し、合格できたんです。このときは、またアスリートとして生きていける、そんな気持ちでうれしかったことを覚えています。

2017年は1月から日本代表練習生として、日本代表の合宿に帯同できました。あれよあれよと4月に公式戦に初参戦し、初トライも決めることができました。陸上で鍛えた脚は、上手く使えば相当な武器になると確信した瞬間でもありました。

ただ、2回目の公式戦で選手と交錯したときに右足首腓骨(ひこつ)を骨折してしまったんです。入院・手術に伴い、代表からは外れました。そこから復帰まで約半年リハビリの日々が続いたんです。念願が叶い、2018年5月の公式戦で復帰し、再びトライを決めることができました。

しかし、シーズンに入ると出場回数が減っていったんです。それって、ケガでトレーニングもできなかったから当然ですよね。もともと陸上競技用の筋肉はありましたが、小さな頃からラグビーのための身体作りをしてきた人たちに追い付くことは、難しいことだと痛感し始めた頃でもあります。

― やはりケガの影響が大きかったのですね。

そうですね。身体作りもそうですが、何十年も続けている選手たちのラグビー感覚は、そうそう身に付けられるものではないと。私は走るのが速いことで参戦できたのに、これから感覚も磨きあげるタイミングでケガをしてしまっていたんです。小さい頃からラグビーをやっている周りの選手たちも必死に練習を続けていますから、差は開く一方。そこにはケガをしないプレーという要素もあり、その感覚が身に付かないと、またケガをしてしまうのではないかという不安が出てきてしまったんです。

― ケガをきっかけにプレースタイルも見直すことになったと。

見直すというよりケガの不安からか、ずっとラグビーやってきた人たちには追い付けない。陸上でトップをとったけど、ラグビーでは自分の限界を感じ始め悩んでいたんです。ラグビーは、身体の強さ・スピード・アジリティすべてが要求されますが、それに対するケガでの練習不足感は大きかったです。自分のことで、周りに迷惑をかけるんじゃないかということ。とにかく悩み続けていました。

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