インタビュー
2023年10月18日

細野史晃が提唱する『楽ラン』とは。ラクに、楽しく、速くなる! (1/2)

「走ることは苦しいもの」。そうイメージされている方は多いでしょう。すでにランニングに取り組んでいるとしても、日々トレーニングで自身を追い込んでいると、やはり「辛い」「苦しい」という感覚を持たれているかもしれません。

しかし辛い思いをして走っているのに、なかなか走力が伸びていかない。あるいは、すぐ怪我に悩まされてしまうという方も多いでしょう。そんなランナーにとって、『マラソンは上半身が9割』の著者である細野史晃さんの提唱する『楽ラン』メソッドは1つのヒントになるかもしれません。

どのようなメソッドなのか、その誕生の経緯を踏まえながら細野さんにお話を伺いました。

[プロフィール]
細野史晃(ほその・ふみあき)

1985年生まれ、京都府出身。学生時代は陸上競技部に所属し、三段跳びの選手として活躍。2012年、大学卒業後はリクルートHRマーケティングでの勤務を経て、2012年にランニングコーチとして独立。自身の競技経験や知識をベースに『楽RUN』のメソッドを開発し、初心者からトップアスリートまで幅広い層の指導にあたっている
【HP】http://sunlightrc.com/

三段跳び選手として歩んだ苦悩と工夫

―― もともと細野さんは陸上競技選手として活躍されていたと伺いました。これまでの競技歴について教えてください。

陸上競技を本格的に始めたのは、中学生の頃です。当初、指導者から「適性がない」という指摘を受けたことで、長距離に取り組みました。しかし辛い練習に取り組んでいるわりには、なかなか記録が伸びない。そのため、中学校2年生で短距離に転向したんです。1年生で16秒くらいだった100mが、3年生では12秒4まで伸びました。それから高校、そして1年の浪人を経て大学まで、陸上競技に取り組んでいます。

―― もともとの種目は三段跳びが専門ですよね?三段跳びは高校から始めたのでしょうか。

はい。高校時代にどうしても都大会に出たかったんですが、そこで目をつけたのが技術職の高い三段跳びでした。高校2年の夏には都大会出場を果たしています。でも三段跳びを始めてから半年間ほど、なかなか記録が伸びなかったんですよ。そこで、当時自分で運営していた陸上関連のホームページ経由で、ユーザーだった他校の生徒に頼んで強化合宿へ参加させてもらえることに。その合宿で軸の作り方や、骨盤の使い方という今の理論の基礎となるものを教わりました。ちなみに、高校時代の自己ベストは13m39cmまで伸びました。

高校卒業後は1年浪人をしていて、そのときは肉離れで大会には出られず。そして翌年、大学入学前の3月から大学の部活に参加させてもらいました。しかし大学では思うように技術練習が行えない環境で、苦戦しましたね。大学1年生で13m65cmまで記録は伸びたものの、行き詰まりを感じていました。そんな中、一緒に練習していた人で、日本選手権にも出場していた方のフォームを見て気づいたのが“着地”。それまで流行りでもあったフラット接地と跳躍ではおなじみの踵からのローリングを意識した接地(着地)をしていたのですが、その人の着地はつま先だったんです。半信半疑ながらも結果が出ている人のマネはしてみようと思い取り入れてみました。

その気付きとともに、大学2年生ではウェイトトレーニングやバウンディング、坂ダッシュなど追い込んだ練習を行いました。そして迎えた同学年時の初戦、5月の都民大会では13m80cmに。そして9月には13m98cmと、少しずつ記録が伸びていきます。でも、いくら良いイメージで跳べていても、15mには遠く届きません。これが不思議で「なぜだろう」と考えたとき、新たに見つかった改善点は“助走”でした。通常8〜9割で助走するものを全力に近い95%にしたところ、中助走で14m近く跳べたんですよ。これは衝撃的でしたね。接地の意識と助走スピードの2つを変えて今まで積み上げた努力が実を結び、その結果、私の自己ベストは14m74cmまで伸びました。

フォームの重要性に着目したトレーナーとしてのスタート

―― そこから大学卒業後、すぐにトレーナーとしての道を歩み始めたのでしょうか?

もともと学校の先生、もしくは地方公務員として競技と生活をほどよく続けられる環境を……と考えていました。でも周りの就活生がイキイキしているのを見て、考えたんです。公務員は後からでもチャレンジできますが、新卒として就職できるのは今だけ。さらに、競技者としての人生を続けられなかった自分の人生を省みたときにスポーツと教育、そして社会を結びつけることができたらもっとおもしろいのではないか、という思いも沸々と湧いてきて……。そこで、新卒という切符を切ることに決めたんです。入社後はマーケティングなどに携わり、2010年冬からしばし休職期間。その際に今後のキャリアについて考え、2012年に独立することに決めました。

独立を考えたとき、まず「自分に何ができるのか」を挙げてみたんです。陸上競技経験、営業経験、マーケティングのノウハウ。また、学生時代を含めて陸上競技については指導者がいない環境でもあったので、長らくOBとしてだったり、外部指導員としてほぼ仕事に近い感覚で指導を経験していましたし、すでにメソッドも作っていました。その指導技術も強みになると思い、導き出したのがトレーナーという道だったんです。

―― なるほど。そこからトレーナーとしての活動が始まるわけですね。当時に作られていたメソッドというのが、『楽ラン』だったのでしょうか?

当時のメソッドは、1時間あれば誰でもみんな楽しく走れるというレベルのもので、まだ今の楽ランからは程遠いものでした。でも、1時間って長いですよね。メソッドを学んだ後に、今度はそれを定着させる時間も必要ですから。そこでさらにメソッドを磨き上げ、30分で学び、さらに30分で定着させられるものを目指しました。

ちょうど東京マラソンをキッカケにランナー人口が増加していたタイミングでしたが、近い将来、フォームの重要性は欠かせないものとして出始めると思っていたんです。そんなとき、日本人でも外国人ランナーのように走れるメソッドがあったら……。そんな考えから、トレーナーとして取り組む中で『楽ラン』を創り上げていきました。

常識を覆す『楽ラン』メソッドとは

―― 定着を含めて60分と伺いましたが、実際、どのくらいの時間があれば走りが変わってくるのでしょうか?

早い人なら、5分もあればフォームが変わるのを実感できるのではないでしょうか。あまり感覚的になり過ぎたり、理論ばかりにとらわれたりすると、少し時間が掛かるかもしれませんね。フォームは「走るというのはこういうことだ」という先入観、つまり思考の癖による部分が大きいですから。感覚と理論、バランスよく考えられる方は飲み込みが早いようです。

―― 具体的に、『楽ラン』とはどのようなメソッドなのでしょうか?

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