ラストアイドル奥村優希「バスケをやっていない自分は想像できなかった」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#33 (2/2)
スティールできたときの快感は忘れられない
――中学で、他の部活に入ることは考えなかったんですか?
バスケがすごく楽しかったので、絶対に続けようと思ってました。しかも、ミニバスで教えてくれてたコーチが家から少し離れた別の学区の中学で教えることになったんですね。それで私のことをチームに誘ってくれたので、迷わず「行きます!」って。幼馴染は迷ってたので、何回も家に行って「バスケを続けようよ!」と誘って、ふたりで一緒に続けることにしたんです。
――コーチが上手な子を集めていたんですね。
もともとミニバスの県大会でよく優勝していたチームのメンバーがけっこう在籍している中学校だったので、技術的な面で比べたら私たちふたりは下手くそだったと思います。でも、コーチはチームのプレイスタイルを、高さを活かす形からディフェンスを頑張って走って勝つ形に変えたかったみたいで。それで私と幼馴染が誘われたんです。
――強豪校だと練習は厳しかったですか?
ミニバス時代とコーチは一緒だったので、あんまり変わらなかったですね。もともとキツかったというか(笑)。ひとつ変わったのは、遠征試合をたくさんするようになったことですね。他県の強豪校とたくさん練習試合をして、ボロボロに負けて帰ってくるのが日常でした。
――対戦相手の中には、プロや実業団で活躍する選手もいましたか?
凄い選手はたくさんいました。例えば、トヨタ自動車・アンテロープスの馬瓜エブリン選手。日本代表にも選ばれているんですけど、当時からすっごく身長が高かったのを覚えています。ほかにも全国レベルの選手がたくさんいました。
――そんな高いレベルで活躍していた奥村さんの得意なプレイは?
ディフェンスが自分の見せ場だと思っていたので、相手がフロントコートまでボールを運んで来る前にスティールできたときはすごく快感でした。会場にいる全員の視線が逆のゴール側にうわっと動くんですよ。それでシュートも決めると一気に歓声が湧くので、いちばん楽しい瞬間でしたね。
――中学時代の成績はどうだったんですか?
県大会のベスト8が最高でした。もっと上を狙っていたんですけど、どうしても勝てない2校がいて。そこに当たらなければ……って思うんですけど、いつも当たる組み合わせになってしまうんですよ。最後の大会が終わった後、幼馴染と一緒にある高校からスポーツ推薦の話をいただいて、私はバスケをやってない自分が想像できなかったから「行きます!」って即答。幼馴染は中学を転校するときと同じように迷ってたんですけど、何度も誘って引きずり込んじゃいました(笑)。
後編:ラストアイドル奥村優希「バスケで大怪我を経験したことで忍耐力が身についた」(後編)
[プロフィール]
奥村優希(おくむら・ゆうき)/ラストアイドル
1995年10月6日、新潟県生まれ。小中高と9年間バスケットボールを続け、卒業後は新潟市の百貨店に勤務。2018年にオーディションバトル番組『ラストアイドル』(テレビ朝日系)に挑戦し、2期生アンダーとしてグループに加入した。2020年には8thシングル『愛を知る』、9thシングル『何人も』で選抜入り。特技は中高で県ベスト8まで進んだバスケットボールと、百貨店の販売員時代に磨いたコミュニケーション能力。
【公式Twitter】@yuuki_LI2U
【公式Instagram】@_yu_1006/
<Text:森祐介/Edit:村上広大/Photo:後藤巧>