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  • ラストアイドル奥村優希「バスケをやっていない自分は想像できなかった」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#33

ラストアイドル奥村優希「バスケをやっていない自分は想像できなかった」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#33 (1/2)

 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載「アイドルと、スポーツと、青春と。」。

 今回話を聞いたのは、アイドルグループ・ラストアイドルの奥村優希さんです。小中高の9年間にわたってバスケットボールを続け、中高では県ベスト8も経験。不運にも高校時代に大きな怪我を負ってしまったものの、バスケを通じて得た経験は現在のアイドル活動にも活きているとか。

 前編では、奥村さんがバスケットをはじめたきっかけから、中学時代までのエピソードを語っていただきました。

習い事がしたくてはじめたミニバス

――バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

小学校4年生のとき、なんでもいいから習い事をはじめたいと思ったんですね。それでいろんなチラシをもらってきて、お母さんと一緒に選ぶことにしたんです。それでいくつか候補が残ったんですけど、当時は身長が142センチしかなかったからバレーボールは向いてないと思ったし、ドッジボールは男の子の方が多いからついていけないだろうということで、残った選択肢がミニバスでした。それで幼馴染の子と一緒に通うことにして。

――もともと運動は得意だったんですか?

そうですね。小学校のマラソン大会では6年間1位で、運動会ではいつもリレーの選手に選ばれていました。

――クラブでは週に何回くらい練習していたんですか?

週に4回ですね。平日は2〜3時間くらい。土日だけ9時から午後4時とか、12時から午後6時みたいな感じで少し長く練習していました。

――当時の練習メニューを覚えていますか?

身長が小さい子ばかりだったので、スピードと体力を鍛える練習が多かったです。例えば「ダッシュ」というメニューでは、コートの端から端まで走って戻ってこないといけませんでした。あと、いちばんキツかったのがオールコートの1on1。

――どんな練習だったんですか?

コートの端から1on1をはじめて、ゴールを決めたら終わりっていうルールなんですが、オフェンスに得点を取られたらディフェンスは交代できなくて。ずっと止められない時間が続くときは地獄でしたね。こちらはどんどん体力を削られていくのに、体力が回復した相手が次々と来てしまうので。

――それだけ頑張って練習していたら、早いうちから活躍していたんじゃないですか?

実ははじめて大会に出場できたのは6年生になってからだったんですよ。コーチが「基礎ができるまでは公式戦に出さない」と決めていたので、ミニバスをはじめてから最初の2年間は練習ばかりしていました。

――それは意外です。

しかも初出場の試合でキャプテンを任命されて、4番の背番号を付けることになったんですけど、プレッシャーに負けて何もできなくて。それ以来、“練習のキャプテン”というよくわからない役になって、試合では11番を付けていました(笑)。

――そうすると、試合では別の人がキャプテンを?

はい。私の代わりに“試合のキャプテン”になったのが、一緒にバスケをはじめた幼馴染の子で。彼女とは信頼し合うチームメイトであり、負けられないライバルであり、すごく良い関係を築けたと思います。

――最高でどれくらいの成績を収めたんですか?

確か地区大会で3位になったのがいちばん良い成績だったと思います。

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