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中学で寮生活をスタート、「私、何しに来たんだろう」と思う日々を乗り越えた 元バドミントン日本代表・髙橋礼華(後編)|子どもの頃こんな習い事してました #33 (1/2)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 「泣いて帰ってくる場所はないよ」と父親に送り出され、中学から寮生活を始めた髙橋礼華さん。その後、高校に進学し、松友美佐紀選手とペアを組むことになりました。

 その当時の気持ちや、今後お子さんに習わせたいこと、自分が始めてみたいスポーツ、そしてこれからの夢について伺いました。

前編:負けて「悔しい」という気持ちを味わった習い事はバドミントンだけでした。元バドミントン日本代表・髙橋礼華(前編)

ポジティブの神様がふと降りてきたんです

――小学4年生から頭角を現し、中学は奈良県の実家から遠く離れた宮城県の聖ウルスラ学院に進学しました。念願だったバドミントンの強豪校に進んでいかがでしたか。

中学1年の終わりのころヘルニアになってしまって、3カ月ぐらい一切練習ができなくなってしまったんです。注射を打つために病院に何度も通ってすごくきつかった。親元を離れたばかりの頃だったので、「もうやめたいな」と思いましたが、でもそれを親に言ったかというと言ってはいません。進学するときに、お父さんに言われた「泣いて帰ってくる場所はない」という言葉を忘れず、「せっかく送り出してくれたからには結果が出なくても、6年間続けなきゃいけない」と思って頑張りました。

――弱音を吐くこともなく、1人で耐えた?

耐えるってほどでもないんですけど、うまく消化していったんでしょうね。もちろん焦りもありました。ランニングすらできず、座ってダンベルを持ってトレーニングをしながらみんなの練習を見ているだけ。自分が出るはずだった試合も他の同級生に受け渡すことになってしまって。

「私、何しに来たんだろう」「あの大会、本当は私が出るはずだったのに⋯⋯」と思ったことはあったんですけど、けがをしてから2カ月くらい経って、練習を見ていたときに、ふと「ずっと悩んで下を向いていても、けがが治るわけでもない。とりあえず今は治すことだけを考えて生活しよう」と思ったんです。「後になって、けがをしたことでいろいろ考える時間ができてよかったと思えるように、前向きになろう」とうまく切り替えられました。

――急に切り替えられたのでしょうか。もともとポジティブな性格なのか、ご両親や友人から励ましの言葉があったのでしょうか。

自分がポジティブかというと小学校のころはそんなこともなかったですし、周りに励まされたことも、親がアドバイスしてくれたということもなかった。みんなの練習を見ているときに、降りてきたんです、ポジティブの神様が。ふと「前向きになってみよう」と切り替わったことを鮮明に覚えています。

「大丈夫かな?」、意外だった松友選手との出会い

――高校から2020年に引退するまで松友美佐紀選手とダブルスでペアを組んでいました。どういった経緯で組むことになったのでしょうか。

高校2年生のインターハイが終わって、学校内でダブルスのペアを組み変えるということになったんです。でもそれまで私は同じ学年の子とずっと組んでて、松友(1学年下)も同じ学年の子と組んでたので、お互いパートナーは変わらないだろうと思っていました。ところが先生から「髙橋、松友」と言われて、お互い「えっ先輩と?」「えっ後輩と?」と、驚きしかなかった。「えー」「大丈夫かな?」って。

高校ではシングルスもダブルスも両方やらなきゃいけなかったのですが、私も松友もシングルスが強く、私はダブルスをやりたいという気持ちはまったくありませんでした。先生もそれぞれシングルスを頑張らせるために、ダブルスは「この2人でいっか」くらいな感じだったと思います。

――そういう状態からなぜ2人とも「ずっとダブルスでいこう」となったのでしょう。

初めて組む相手とはラケットがぶつかることが多いのですが、そういうことがまったくなくスムーズに回ることができて、「意外と合うじゃん」と自分たちでもびっくり。かといってすぐに「これで全国優勝に向けてがんばろう」という気持ちもなかったです。やはりお互いシングルスになるとライバルなので、ちょっとピリピリするところもあった。ところが、高校3年生のインターハイで、私が捻挫をしてしまってシングルスは出られず、ダブルスだけ出場して優勝したんです。それもお互いびっくり、先生もびっくり。

想定外のペアだったけれど、結果を出せたことで「ダブルスもいけるじゃん」という雰囲気になって、その後、社会人や大学生も含めて日本一を決める全日本総合選手権に出場しベスト4まで行った。高校生でベスト4まで行くなんて今までにないこと。その時すでに高校卒業後は実業団に入ると決めていたので、このままずっと松友とダブルスを続けていきたいと思いました。

――ペアと一緒にやっていくときのコツ、心構えはありますか。

私は松友と組むことになってからダブルスの楽しさが段々わかってきたのですが、ここまで長く組めたのは、お互い同じ目標に向かっていたから。同じ目標に向けて同じ気持ちで頑張ることが大事だと思います。

――衝突することはなかった?

そんなに大きな衝突はないです。もちろん、意見の食い違い、言い合いはあるけれど、それも勝つためには必要なことだと思いますし、それが原因で「ペアを解消したい」と思うことはなかった。そんなパートナーに出会えたことには感謝しなければならないなと思います。

――お互いはどういう存在なんですか。

もう付き合いが長すぎて、私にとっては妹みたいな感じ。私には松友の1つ下の妹(女子バドミントンの髙橋沙也加選手)がいるので、私・松友・妹の三姉妹という感覚です。私と松友とは性格は真逆ですし、プレースタイルも全然違う。逆にそういうところも良かったのだと思います。私はオフの日はオフという感じですけど、松友はオフも練習するくらいバドミントンが大好きでバドミントンに対してすごく真剣に取り組んでいる選手。尊敬する存在でもありますね。

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