インタビュー
2022年3月10日

サッカーは自由なスポーツ。その楽しさを伝えたかった。高橋陽一先生が語る『キャプテン翼』に託した夢(前編)│熱血!スポーツ漫画制作秘話 #2 (1/2)

 スポーツ漫画の作者にご登場いただき、名シーンが生まれた舞台裏や、あのキャラクターが作られたきっかけなど、制作秘話をお訊きする「熱血!スポーツ漫画制作秘話」。

 第2回は『キャプテン翼』で全世界のサッカーファン、そしてサッカー選手に多大なる影響を与えた高橋陽一先生が登場。先生が翼に込めた思い、翼誕生のエピソードなどたっぷりとお話を伺いました。

1978年、アルゼンチンW杯がもたらした感動

——はじめに、高橋先生が漫画家を志したきっかけを教えてください。

小さい頃から漫画が好きで、手塚治虫先生の作品をはじめ、いろんな作家さんの漫画を読んでいました。そして僕は漫画と同じくらいスポーツが好きだったので、自然と読む漫画もスポーツものが増えていきました。最初は『巨人の星』や『あしたのジョー』から入って、中学生くらいになると、『ドカベン』をはじめとした、水島新司先生の漫画が大好きになりました。小学校5〜6年の頃には、漫画家になりたいという思いがあったのですが、自分がスポーツが大好きだったということもあって、自分が描くならスポーツ漫画なのかなと当時から考えていました。

——実際に漫画を描くようになったときにサッカーを漫画の題材に持ってきた理由は、先生自身がテレビで1978年のアルゼンチンW杯を観戦したことが大きいとのことでした。

それまでも日本リーグや高校サッカーというものは観ていたんですけど、世界レベルのサッカーに触れたのはそのときが初めてだったんです。単純にそのサッカーがすごかったというか、それは紙吹雪が舞うスタジアムの熱狂だったり、雰囲気もありましたし、南米やヨーロッパ、世界各国にプロがあって、世界中のファンが夢中になっている。自分がそれまでやっていた野球だとアメリカと日本という感じだったのが、規模感が全然違うし、野球よりも世界中で愛されているスポーツだというのをそのときに知って。それからサッカーも好きになって、ジャンプの月例賞には野球漫画とサッカー漫画を交互に描いて応募していたんです。その中で入選したのが『キャプテン翼』でした。

——そのデビュー作である『キャプテン翼』がその後に連載作品としてスタートするわけですね。

当時の担当さんと、入選したのがサッカー漫画だったので、そのままサッカーでいこうという話になったのです。その頃は野球漫画がいっぱいあって、描き尽くされている部分もあったので、それだったらまだ開発されてないサッカーの方がネタもあるんじゃないかと。

それでも読み切りが掲載されてから、実際連載が始まるまで1年くらいかかったんです。そのなかで試行錯誤しているうちに、読み切りのときに中学生だった翼と若林が小学生から話を始めるのがベストだろうという考えに至りました。

——それは少年ジャンプの読者の年齢層との距離感も考えてという部分があるのでしょうか?

いちばん最初にサッカーを好きになったきっかけがW杯だったので、翼の夢はW杯で日本を優勝させるというのが大前提にあったんです。そうなったときに、やはり小学生の頃から鍛えていかないと無理だよな、と(笑)。それに小学生のときだったら、世界と比べてもそこまで大きな差は開いてないと思っていたので、そこから頑張っていこうよという思いもありました。

翼の身長が高くない理由

——翼の「W杯優勝」という目標は、当時の子どもたちにかつてないスケールの大きさとインパクトを与えたのはその後のサッカー界の繁栄を見ても明らかです。そして主人公の「大空翼」という名前もスケールの大きさを感じさせてくれる見事なネーミングですが、どんな思いを込めて名付けられたのでしょうか?

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