インタビュー
2017年12月25日

東京パフォーマンスドール・高嶋菜七「毎週のように怪我をして。それでも野球が大好きだった」(前編)│アイドルと、スポーツと、青春と。#7 (1/2)

 スポーツにガチで打ち込んだ経験を持つアイドルに、その思い出や競技の魅力について語ってもらうインタビュー連載「アイドルと、スポーツと、青春と。」。

 第7回は、第6回に引き続き東京パフォーマンスドール(TPD)から高嶋菜七さんが登場です。スポーツ万能アイドルとして活躍する彼女。そのルーツには、小学生の頃に取り組んだ少年野球での学びがあったと話します。

 前編では、野球を始めたきっかけなどについて伺いました。

野球好きな家庭に生まれて

——高嶋さんは、小さい頃に習いごとをたくさんしていたと聞きました。当時の1週間のスケジュールはどんな感じだったんですか?

 シンガポールに留学する小学4年生まではけっこうハードでしたね。月曜日はピアノとパソコン教室をハシゴして、火曜日は習字、水曜日はオフ。木曜は公文と塾があって、金曜が水泳、土日が野球という感じでした。

——このスケジュールだと遊べるのは水曜だけですね。

 そうですね。もしかしたら今よりもこのときの方が忙しかったかも(笑)。

——その中でもっとも熱中したのが野球だったんですか?

 はい、家族みんな野球好きで。甲子園球場の近くに住んでいたので、みんなで阪神タイガースを応援してました。当時は星野(仙一)監督時代。金本(知憲)選手、赤星(憲広)選手たちがいて、すごく強い時代でした。特に祖父なんて筋金入りの阪神ファンだから、他チームの選手を応援しようものならめちゃくちゃ叱られましたね(笑)。

——家族の影響があったんですね。

 はい。父も野球やってましたし。それで確か小2のときに、幼稚園からの幼馴染に誘われて少年野球チームに入ったんです。私の影響で弟も野球を初めて、高校生のときは甲子園を目指して頑張ってましたよ。

▲小学生時代の写真

——チームメイトは何人くらいいたんですか?

 40人くらい。1軍と2軍に分かれて練習してました。私は1軍のベンチ。だから、すごい悔しくて。頑張らないとすぐに二軍に落ちてしまうので必死でしたね。

——でも、女の子が男の子に混じって野球をやるとなったら、なかなかレギュラーは取れなさそうです。

 そうですね。女の子は私ひとりだけだったのでなおさらでした。やっぱり力勝負になると勝つのが難しいじゃないですか。ずっとベンチだったのが悔しかったです。だから、平日の夜に自主練習してましたよ。グラウンドに行かないまでも、素振りしたり、ボールを投げたり。

——ポジションはどこだったんですか?

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