インタビュー
2018年6月4日

スケート、空手、水泳、習字、そろばん、ピアノ。学校の先生を目指していろいろチャレンジしました。元スピードスケート日本代表・大菅小百合(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #13 (1/2)

 スポーツ界の第一線で活躍していたアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 第13回は、スピードスケート、自転車競技で日本代表として活躍した大菅小百合さん。2002年ソルトレイクシティオリンピック、2004年アテネオリンピック、2006年トリノオリンピックと3季連続、つまり冬と夏の両オリンピック出場を果たした大菅さんは、子どものころからさまざまなことにパワフルに取り組んできたそうです。その力の源にはなにがあるのでしょうか。

素晴らしい先生に出会えて習い事を始めました

――小さいころの習い事を教えてください。

3歳からスケート、空手を習っていました。出身地・北海道東部の標津町(しべつちょう)では、もともとスケートは冬の遊びのひとつ。みんなスケートシューズを持っているという環境なので、1歳上の兄と一緒にしょっちゅうスケートリンクに行っていたんです。そんな遊びの延長で習い始めました。空手はお父さんが指導者で、やはり兄も習っていたので私もやってみようかと思ったことがきっかけです。小学3、4年生くらいからは、習字、そろばん、ピアノを習い始めました。

――そのきっかけは?

小学1、2年生のときの担任の先生が、字がきれいで、計算が速くて、ピアノも上手だったんです。その先生に憧れて「将来、学校の先生になりたい」と思うようになり、習字、そろばん、ピアノを習い始めました。その先生はとてもやさしくて、私の男っぽい性格もよくわかってくれて、「女の子なんだからこうしなさい」と言うことなく接してくれていました。今でも年賀状のやりとりをしています。同じころ、水泳少年団にも入りました。これは学校の仲がいい友だちがみんな入っていて、放課後はプールに行くことが当たり前のような流れになっていたので入りました。

――いい先生に出会えてよかったですね。それにしてもたくさん習い事をしていたんですね。

毎日、何かしら習い事が入っていて、帰ってくるのは夜7時、8時。でも苦になりませんでした。勉強よりも楽しかったです。

実は、スケートはあまり力を入れていませんでした

――たくさんの習い事の中で、やはりスケートがいちばん楽しかったんですか?

いや、そんなことはないです。いちばん楽しかったのは水泳とそろばん。スケートはそれほどでもなかったですね。練習は屋外の天然氷のリンクだったので、冬は早く日が暮れて寒いし、体育の授業でスケートがあるくらいなのでうまい子の人数も多くて。地元の中ではそこそこ速いほうではありましたが、大会に出たら勝てないレベルだったので、そこまでおもしろいとは思わなかったんです。じいちゃん、ばあちゃんに「優勝したらあれを買ってあげる」とか言いくるめられて、ご褒美目当てにがんばっていたようなものです。

空手は、物心ついたら、お父さんが私たちだけに厳しいことがわかってきて、「なんでうちらだけ?」と思っちゃって、多少やらされてる感がありました。高学年になると「あいつは女なのに強いから気をつけろ」とからかわれるようになり、イヤだったというのもあります。両親が「黒帯を取ったらやめていいよ」と言うので、小学6年生のときに黒帯を取ってやめました。

今思うと、空手は“やめるためにがんばってた”という気がします。水泳も楽しかったんですが、一通り泳げるようになったので6年生でやめました。そろばんも初段を取って6年生でやめました。

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