インタビュー
2019年7月11日

「3年間ベンチだったとしても野球を続ける」と約束し、強豪校めざして練習へ。横浜DeNAベイスターズ・山崎康晃(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #23 (1/3)

 スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

 小学2年から野球を始め、陸上大会で活躍しながらも「野球では負けない」という信念を持って突き進んだ高校、大学時代。実は教員免許も持っているという意外な一面も持っている山崎康晃選手。子どもたちに夢を与える笑顔に秘められた思いは……? ※山崎康晃選手の崎は立つ崎(たつさき)が正式表記です。

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野球が終わった次の人生を考えて教員免許を取得

――高校は帝京高校に進学。2年生と3年生のときに夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)で準々決勝まで進出しました。

稀哲さんが帝京高校に行っていた影響を受けて帝京を希望しました。「もし試合に出られなくてずっとベンチでも、3年間必ず野球を続ける」とお母さんと約束したことは今でも記憶に残っています。単願で受験したので、お母さんが一番ヒヤヒヤしていましたね。

お母さんは野球に詳しくなくて、ルールもわからないんですけど、僕が「帝京高校に行って甲子園に出たい、そのために野球推薦を取りたい」と練習に励んでいた中学3年生の夏休み、家に帰ったらお母さんが「勉強しなきゃ」とテレビで高校野球の中継を見ていたときは驚きました。家族の絆を結ぶものが野球だったのかなと思います。

――高校卒業時はドラフトで指名されず亜細亜大学に進学。教員免許を取得したそうですね。

はい、高校社会の免許です。長い人生において野球ができる期間はそんなに長くない。野球が終わったあとのことも視野に入れて、僕にしかできないことをやっていきたいという思いで授業を受けてました。

――小さいころからプロ野球選手をめざしていたわけですが、勉強も大事だと思いますか。

僕自身は「勉強しなさい」と言われてもなかなかしませんでした(笑)。一生懸命野球に向き合うことも大事ですけど、あくまで学生時代は教育を受ける期間。ただ、頭でっかちになってもいけないと思います。いろんなことに興味を持つことも、子どもたちに必要なことではないでしょうか。僕はそうやって育ってきたので、同じように子どもたちにはいろいろな夢に挑戦してほしい。

――将来、子どもが生まれたとしたら野球をさせたいですか。

悩みどころですね。僕は野球が好きだから、ワクワクするから続けられた。だから自分の好きなことをしてもらえればいいと思います。親としてはそれに対していい助言を与えてくれるような環境をサポートするだけ。そういう余裕を持った判断ができるといいですね。

――子どもがスポーツを続けるには、親の負担もあります。たとえば野球だと当番があったりと、保護者たちもたいへんです。

そうですね。休日を削って子どもたちの面倒をみてくれているお母さん、愛情をこめて指導してくれるコーチ、監督。大人になった今思うと、感謝の気持ちしかない。僕は周りの大人にはとても恵まれていました。

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