[マラソンランナーの心理]なぜ痛みや苦しみを味わいながらも大会に出続けるのか (1/2)
筆者は市民ランナーです。おもにアメリカ・カリフォルニア州で、年に数回フルマラソンのレースに出場しています。1人で黙々と走り続けることがさほど苦にはならない性格ですが、それでもたまに大勢のランナーと一緒に「よーいどん」で走るレースに出ると、普段と違う楽しみを得られます。
とはいえ、フルマラソンは楽しいことばかりではありません。ほとんどのランナーは、多くの痛みと苦しみを抱えてゴールします。
最後の数キロは足を引きずって歩いたり、痙攣(けいれん)を起こしたり、足の豆が潰れたり。あるいは爪が剥がれることもあるでしょう。もしまったく経験したことがないマラソンランナーがいたら、その人は稀な存在だと言えます。
にもかかわらず、何回でも繰り返しマラソンを走ろうとするランナーが後を絶ちません。私も、まさにその1人です。走っているとき、あるいはゴール直後は「もう嫌だ。2度とこんなことするもんか」と思っていたのに、しばらくすると「さあ 次のレースはどれにしようか」と考え始めます。
そしてまたレースに向けて数か月練習し、大したタイムが出なくても同じような苦しみを味わう。そんなことを、私もかれこれ20年ぐらい繰り返しています。
ランナーの記憶は時間とともにどう変わるか、心理学調査を実施
どうやらランナーたちの脳には、普通ではない何かがあるのではないだろうか。そんな疑問に、ポーランドの心理学者がランナーたちの記憶について調べた研究(※1)があります。
それによれば、ランナーたちは痛みや苦しみに関する記憶が達成感やゴールしたよろこびに入れ替わってしまっており、時間が過ぎるほどその傾向が深まるという調査結果が出たそうです。
62人のフルマラソン完走者を対象に行われたこの調査。ゴールした直後、1週間後、1か月後、3か月後、そして6か月後に「痛みの度合いと不愉快さの記憶」について同じ質問を繰り返し、その時点での主観的な評価を数値で答えてもらいました。すると、ランナーたちのネガティブな記憶は、時間を追うごとに少なくなっていくことがわかったのです。
要するにランナーたちは、痛かったことや苦しかったことを正確に記憶しない(できない)傾向にあるとのこと。ランナーの中には、思い当たる人が多いのではないでしょうか。
「マラソンを走るのは痛みをともなう行為であるにもかかわらず、心理的にはポジティブな経験なのです。特に完走した人たちにとっては」と、研究者のバベル博士は語っています。博士が述べているように、この研究の対象になったのはレースを完走したランナーのみです。もしレースを途中で棄権せざるを得なかった人たちを調査したら、少し違った結果が出ていたかもしれません。
マラソンに興味のない知人から「なぜわざわざ(お金を払って、時間をかけて)あんなに苦しそうなことをするの?」と尋ねられた経験を持つランナーは多いはず。これからは、そうした質問には、理解してもらえるかどうかは別として「確かに苦しいけれど、その痛みや苦しみは記憶からなくなるのだよ。心理学的にも証明されている」と胸を張って答えてよさそうです。
ランナーを励ますメッセージには「Pain(痛み)」という単語も多い
レースを走る楽しみのひとつに、コースに立って応援してくれるギャラリーたちの存在もあります。大声での声援もそうですが、中にはメッセージを書いたポスターを掲げてくれる人もおり、そこには「Pain(痛み)」という単語が入ったものが実に多く見られます。
それを見て励まされたり、笑ってしまうこともしばしば。実際に、私がレース中に見たメッセージをいくつかご紹介しましょう。