2017年7月21日

活気のある掛け声と賑やかな音に誘われて、自然と体が動き出す。約400年の歴史を持つ阿波踊りの魅力とは?

 阿波踊りは日本の三大盆踊りの一つ。夏になると本場の徳島県内ではもちろん、日本各地で踊られています。世界にもその名を知られ、その人気は世界各国から外国人が見物に来るほど。また、阿波踊りをはじめとする盆踊りは、気軽にできるものでもあります。そんな多くの人に愛される阿波踊りの魅力とは、一体どこにあるのでしょうか。実際に徳島の阿波踊りに参加経験のある筆者がその体験をもとに、ご紹介します。

阿波踊りはいつどのように踊られるようになったのか?

 阿波踊りの起源については諸説ありますが、江戸時代に戦国武将の蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が徳島城を築いた時、「城の完成祝いじゃ、好きに踊れ」とお触れを出しました。すると、城内で祝杯をあげていた職人や町人たちが音の鳴るものを持ち寄り、「めでたや、めでたや」と踊り狂ったのがはじまりとされています。

 その後、江戸から明治時代にかけて、芸者の間では“お座敷芸”として阿波踊りが踊られていました。当時、花街で豪遊をしていた藍商人に気に入られようと芸者が芸を磨き、阿波踊りはより洗練されていったようです。それが庶民の間に根付き、だれでも踊れる阿波踊りになったといわれています。

 阿波踊りの種類としては、男踊りと女踊りがあります。男踊りは腰を落とし、提灯やうちわを操りながら、勇壮に、豪快に、時には滑稽に、さまざまな振りで踊るというもの。男性だけでなく、女性や少女が踊ることもあります。

 女踊りは女性らしさを表現する、しなやかで優雅な手の動きが特徴です。華やかな浴衣に網笠を深くかぶり、集団で踊ります。笛や太鼓、三味線などの鳴り物と呼ばれるお囃子が、テンポの良い2拍子のリズムを刻むことで、踊り子の踊りをいっそう盛り上げます。このお囃子を、地元では「ぞめき」と呼びます。

 阿波踊りは“連”というチームごとに踊ります。ぞめきのリズムも踊り方も、この連によって全く違うので、それぞれの表現を楽しむことができるでしょう。その「連」の踊りを間近で見られるのが、大通りで踊られる流し踊りです。一方、客席でじっくり見られる舞台踊りでは、有名連の磨き抜かれた技や美しい演出を楽しむことができます。

 徳島の阿波踊りの参加連は1,000組以上といわれ、徳島市の人口26万人に対して人出は130万人以上。踊り手だけでも約10万人と圧倒的な動員数を誇ります。阿波踊りの期間中(8月12日~15日)は、にわか連という連に入り、飛び入りで踊ることも可能です。

踊りの主役になって、阿波踊りの熱気をリアル体験!

 にわか連への参加にあたって、事前の申し込みは必要ありません。服装は自由ですし、参加費も無料。以前に筆者が参加したときには、阿波踊りを全く知らない初心者でも、すぐに踊りを覚えられるので大丈夫とのことでした。

 参加者はまずにわか連の集合場所に集まり、そこで有名連の踊り子などに阿波踊りの掛け声や踊り方を教わります。踊り子が「ヤットサー」と言うと、参加者がそれに応えて「ヤットヤット」と掛け声をかけます。この掛け声は気合を入れたり、威勢を上げるためだそう。「ヤット」の意味は、阿波弁で「久しい間」を意味するので、「久しぶりに踊れる」ということでしょうか。

 「手を上げて、足を上げれば阿波踊り」といわれるように基本的な動きは簡単で、誰でも踊ることができるでしょう。2拍子のリズム「イチ・ニ、イチ・ニ」を感じながら、右足が出たら右手、左足が出たら左手と、同じ側の手足を交互に出します。最初は違和感がありますが、練習するうちに慣れていきました。

 一通り踊れるようになったら、いよいよ新町演舞場までの大通りを歩きながら踊る“流し踊り”へとデビューします。勇壮な太鼓のリズムと、軽やかな笛と鉦の響き。掛け声とともに、お囃子の鳴り物も加わって、一気にテンションが上がります。

 2拍子のリズムに合わせて手と足を動かせば、もう踊り子になった気分。大通りの両脇に見物客が見守る中で踊るのも楽しいものです。全国各地から集まったにわか連の踊り手たちも、街中が一体となった雰囲気を楽しんでいる様子でした。

 活気のある掛け声と賑やかな音に誘われて、自然と体が動き出す……。躍動するエネルギーと湧き上がる興奮は、現場で踊ってみなければわかりません。この醍醐味を知ったら、踊る阿呆はやめられないでしょう。

首都圏でも盛り上がる人気の阿波踊り大会

 今や阿波踊りは本場・徳島に負けないくらいの勢いで、夏の風物詩として日本各地で踊られています。東京だけで約20か所、東日本では約100か所で阿波踊りが開催されています。なかでも、三大阿波踊りといわれるほどに盛大なのが、高円寺と越谷の阿波踊り大会です。

 高円寺の阿波踊りは、1957年に商店街の青年部が町興しを目的にはじめました。隣町で行われていた阿佐ヶ谷の「七夕まつり」に対抗して、南国の阿波踊りを夏のイベントにしたのです。その後、徳島県の有名連と交流して、阿波踊りの手解きを学び、半世紀以上にわたって踊り続けられています。

 参加連は160連、踊り手は1万人。約120万人の観客が訪れるなど、徳島に匹敵するほどの動員があり、東京の夏を代表するイベントとなっています。開催は毎年8月最終週の土曜と日曜です。

 一方、南越谷の阿波踊りは1985年、徳島出身のハウスメーカーの社長がはじめたもの。地元住民への恩返しとともに、お祭りを通じて地域住民の間で故郷への意識を高めたいとの思いから、阿波踊りを開催しました。

 地元を中心に80の連が参加し、踊り手は6,000人、観客の数は約60万人と、今では埼玉でも有数のお祭りとなっています。開催は高円寺と同様、毎年8月の最終土曜と日曜。本場の有名連による阿波踊り教室があり、稽古を受けた後はにわか連として、流し踊りの飛び入り参加もできます。

 高円寺と南越谷の阿波踊りは、どちらも関東にいながら本場の雰囲気が味わえるといわれています。阿波踊り好きなら、両会場をハシゴして、阿波踊りを満喫するのも良いかもしれません。

<Text:香城由里/Photo:写真AC、Getty Images>