2017年12月27日

「走る女は美しい」は、2005年から始まった┃連載「甘糟りり子のカサノバ日記」#3 (1/2)

 アラフォーでランニングを始めてフルマラソン完走の経験を持ち、ゴルフ、テニス、ヨガ、筋トレまで嗜む、大のスポーツ好きにして“雑食系”を自負する作家の甘糟りり子さんによる本連載。 

 連載3回目の今回は、いまでは当たり前のように目にするようになった「ランニング女子」という言葉の、源流について。

ある女性編集者の意地があった

 クリスマスもドラマ「陸王」も終わり、2017年も残りわずか。1年があっという間で、夏の暑さにうんざりしつつ、ビーサンはもう履かないかなあ、なんて迷っていると目の前に師走が迫ってきていた、てな気がいたします。ハロウィンの習慣がないバブル世代の中年はほんとにこんな感覚なんですよ。

 今回はそんなバブル世代の中年の得意アイテム、「昔話」です。自分の武勇伝や昔は良かった発言は私たちのお手の物。うっとうしがらずに、たまにはおつきあい下さいね。ディスコや苗場のスキー場ではなく、ランニングが流行り始める頃のお話です。それまで、地味なイメージだったマラソンを「おしゃれな」「女子」のものに変えたのは、ある女性誌がきっかけでした。

 いち早く「ランニング」を取り上げたのが『FRaU(フラウ)』(講談社刊)。2005年10月20日号で「『走る女』は美しい」という特集を組んでいます。表紙はランニングウエアに身を包む SHIHOさん。アリゾナで撮影されたものです。走る前か走った後のストレッチをしている場面でしょうか。

 私は2000年頃から同誌でエッセイを連載しておりまして、その担当者であるカワラさんが仕掛けたのでした。最初、その号は資産運用を特集する予定だったんですよ。ランニング特集を提案したカワラさんですが、編集長に資産運用の後に来る「第二特集でどうか」といわれてしまいます。意気地のない私だったら、第二でも実現するんなら、まいっか、と思ってしまうでしょうけれど、カワラさんは一歩も引きませんでした。「二特なら、やりません」といって編集長の決定をくつがえしたのです。きっと、巷の女子たちのランニング熱を肌で感じていたのでしょうね。

 私が走り始めたのももともとは彼女の影響です。それまでスポーツにはほとんど関心がなかったカワラさんが、河口湖一周のランニング大会に出たと言った時はおどろきました。正直なところ、何をまたトチ狂って、と思いました。あの頃はまだ、走ることはひたすら汗臭く、地味な行為でした。テニスの伊達公子さんがロンドンマラソンを完走されたことは知っておりましたが、伊達さんはプロスポーツの人ですから、別の世界のことだと決めつけてました。

 マラソンだとか42.195キロなんてことはまったく頭にありませんでしたが、仕事場近くの公園やら実家近くの海岸線を散歩がてらに走ってみると、けっこう気持ちいい。5分走って5分歩くを繰り返し、次第に10分走って5分歩く、20分走って5分歩くというように、走る時間を長くしていきました。30分走れるようになると、もう歩く時間は必要なくなりました。走り初めの頃は、距離より時間を単位にした方がいいと思います。走るペースなんてそんなに一定しませんから。

マラソンを走ったら、自分からどんな言葉が出てくるのか

 ただ地味なだけだと思い込んでいたランニングですが、長く走れるようになると、わずかながら楽しさもわかってきました。同じ動作を繰り返すだけなのに、というより、だからこそ、自分の変化がよくわかるのです。身体はもちろんのこと、気持ちも、です。今日の自分はやる気満々!とか、気持ちはあるけど疲れてて身体がついていかないとか、逆に、体調はばっちりなのに面倒になって歩いてしまったり。新鮮な自分自身の発見、その連続でした。

 多分、同じように走り始め、同じように感じた女性が多かったのでしょう。FRaUのランニング企画は評判となります。誌面から「美ジョガー」なんていう言葉も生まれました。その後、何度もランニングの特集やスポーツ特集が組まれ、読者を招いてのイベントが行われました。私も、北海道で行われた読者イベントに呼んでいただき、トークショーに登壇しました。その壇上で、編集長から、「甘糟さんも走っているそうですが、マラソンに挑戦しませんか?」と言われたのです。返事を濁す私は、こう畳み掛けられました。

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