インタビュー
2017年12月26日

小さく生まれて身体が弱かったけれど、体操や水泳を習ったことで克服しました。7人制ラグビー寺田明日香(前編)│子どもの頃こんな習い事してました #7 (2/2)

小学生のころは、やめたいということはありませんでした。やっぱり走ることが楽しかったし、運動会や大会で速いと自分がうれしいだけでなく、いろんな方が喜んでくれて。そこに魅力を感じました。

中学生のときはケガが多くて「もうやめよう」と思った

――陸上教室に移ったあと、お母さんからの指導は?

陸上教室に移ってからは何も言われませんでした。「今日の練習、どうだった?」とも聞かれなかった。そこはありがたかったですね。 たぶん何か言いたかったとは思うんですけど、成績もついてきていましたし、コーチに預けているので「これ以上、私が言うことはない」と思ったのではないでしょうか。もし母の言うこととコーチの指導に違いがあったら子どもが混乱するので、飲み込んでくれたんだと思います。

私の場合、練習や試合も「見に来ないで」と言っていたんです。最初は、「見られていると緊張するから」という理由だったんですが、だんだん「来ても待ち時間が長いし、疲れるし」という簡単な理由で断っていました。母も働いていたので、わざわざ会社を休んでまで来るものでもないな、と。

やはり大きい試合だと来たかったようですが、それでも「絶対来ないで」と言っていました。インターハイでは、1年目はまさか優勝すると思っていなかったのでいつも通り来ませんでした。2年目は2連覇がかかっていたので「行きたい」と言われましたが、「まだ来なくていいよ」と。3年生は3連覇がかかっていたので、さすがに「行きたい。でも行ったら緊張して心臓が痛くなるかもしれない」と迷って結局来なかったんですが、高校の先生が内緒で祖母だけ呼んでくれていて、終わったあとに祖母が顔を出してくれたときに「なんで来てるの!?」と驚いたことをよく覚えています。世界陸上出場が決まったときは、「ドイツだから遠いけど、行く?」と聞いたら、「心臓が痛いからやめておく」と言っていましたね(笑)。

――高校は、女子短距離に強い北海道恵庭北高等学校に進学されました。そうした進路について親御さんに何か言われましたか。

実は、中学生のとき、ケガが多くて思ったように走れず成績もよくなかったので、陸上をやめて受験勉強に専念しようかと迷っていたんです。でも、陸上をとることを決意した理由は、有名な選手を育てた恵庭北高の先生(中村宏之氏)から「もう一度がんばってみないか」とお声がけいただいたこと。そして、母が「やめたかったらやめていいよ」と言ったことでした。あのとき、母に「やめてほしくない」と言われていたら、逆にもっと落ち込んで走れなかったかもしれない。「やめたかったらやめていいよ。でも後悔するかもしれないから、もう一度よく考えてみたら」という柔らかいスタンスだったことがよかったのだと思います。

⇒後編に続く!

[プロフィール]
寺田明日香(てらだ・あすか)
1990年生まれ。北海道出身。小学4年から陸上を始める。2007年インターハイで100メートル障害3連覇、100メートルと4×100mリレーと合わせて3冠を達成、2008年~2010年まで100メートル障害で日本選手権を3連覇。2009年世界選手権ベルリン大会に出場。同年世界ジュニアランキング1位。2012年のロンドンオリンピックを目指すも故障により断念。2013年引退。2014年に結婚、第一子を出産。子どもと福祉を学ぶため早稲田大学人間科学部に入学。2016年、7人制女子ラグビー選手として始動
【オフィシャルサイト】https://asuka-terada.jp/
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<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

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