電車やバスに乗って習い事へ、遠征もひとりで準備。習い事で自立心もスクスクと育ちました。7人制ラグビー寺田明日香(後編)│子どもの頃こんな習い事してました #7 (2/2)
それは考えちゃいますね。陸上とラグビーはやらせたくないな(笑)。私の母がしていたように、コーチにまかせて黙っていられるかが心配なんです。絶対あれこれ言いそう。自制できればいいんですけど。
出産と3年のブランクを乗り越えてオリンピックをめざす
――「陸上で果たせなかった五輪出場の夢をラグビーで目指したい」「娘に東京オリンピックでプレーする姿を見せたい」と、3年のブランクを経てラグビー選手としてスタートを切りました。
怖さやプレッシャーはなかったんですけど、大変ではあります。3年間、ほとんど運動していなかったので、見た目は現役時代とあまり変わらないと言われましたが、筋力が低下してかなり痩せてしまっていたんです。ちょっと走っただけでゼーハーして、「なんで始めると言っちゃったんだろう」と思ったことも。
でも、子どもを生んでからオリンピックに挑戦するというのは、日本ではまだなかなかないケースですし、そもそもオリンピックにもう一度挑戦できること自体ありがたいこと。せっかくのチャンス、逃すのはもったいない。結果がどうであれチャレンジすることに意義があると考えました。
――出産を経て競技生活はどのよう変わりましたか。
まず、出産で骨盤が開いているので、股関節や腰の違和感を元に戻すのがたいへんでした。また、陸上選手は走っていていきなり止まるのは危ないので、止まらないように教えられてきたんですが、ラグビーは止まったり戻ったりしないとならない。そこが難しくて。コーチから「おまえは新幹線だ」と言われました(笑)。
メリットは、痛みに強くなったこと。5月に右腓骨を骨折したときも、救急車の中から「折れたかも~」と夫に電話したんですよ、笑いながら。救急車に初めて乗ったのがおもしろくて。我慢強くもなりましたね。出産の終わりの見えない痛さに比べたら、インターバルトレーニングがあと何本と言われてもまったくビビらなくなりました(笑)。
――娘さんは、練習に励むママである寺田さんをどのように見ていますか。
理解して応援してくれています。テレビに出たときは「がんばれ、がんばれ」と言いながら見ていますし、私がいない期間も「寂しい」と言わない。「果緒(かお)の仕事は保育園、ママのお仕事は練習」と言うようになりました。それまではべったり一緒に過ごしていたんですが、会えない時間ができたことで、会える時間にお互いうまくコミュニケーションをとろうとするようにもなりました。
2018年は、ラグビーでできないことを克服して、「寺田にボールを渡したらトライを取ってくれる」と思ってもらえるようになることがいちばんの目標。ケガをせずに、2020年を見据えて階段を昇っていくように成長し、日本代表の合宿に残っていきたいです。
[プロフィール]
寺田明日香(てらだ・あすか)
1990年生まれ。北海道出身。小学4年から陸上を始める。2007年インターハイで100メートル障害3連覇、100メートルと4×100mリレーと合わせて3冠を達成、2008年~2010年まで100メートル障害で日本選手権を3連覇。2009年世界選手権ベルリン大会に出場。同年世界ジュニアランキング1位。2012年のロンドンオリンピックを目指すも故障により断念。2013年引退。2014年に結婚、第一子を出産。子どもと福祉を学ぶため早稲田大学人間科学部に入学。2016年、7人制女子ラグビー選手として始動
【オフィシャルサイト】https://asuka-terada.jp/
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<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>